« 2014年07月 | メイン | 2014年09月 »
2014年08月31日
北区にある蔵元「金虎酒造」を会場に金虎酒造とみのや北村酒店が企画する音楽祭です。年々参加者が増えているような気がします。わっぱんもブースを出させていただきました。酒あり、食べ物あり、コンサートあり、工作あり、遊ぶコーナーありといろんなものが手作り感覚でぎっしり詰まった企画です。
子どもたちが遊び、お店たちが酒を飲み、音楽を聞き、知り合いと話す、といった具合に自由で楽しい空間が広がっていました。
わっぱんも販売しました
盛り上がるコンサート
顔を真っ白にして飴食いゲーム
帰り道の空はすっかり秋でした
千種区総合防災訓練が見付小学校で行われました。
インターン生に防災のコスプレですか?と言われ
2014年08月30日
今日は「水源の里を守ろう 木曽川流域みん・みんの会」の「見て、聞いて、触れて感じるバスツアー」という日帰りの企画に参加し、木曽川・飛騨川中流域に行ってきました。
行き先は
・川合の渡し跡(可児市)
・小山観音&水神様(美濃加茂市)
・兼山湊跡(可児市)
・愛知用水取水口(八百津町)
・ロックガーデン(七宗町)
・飛水峡&ポットホール(七宗町)
・飛水食品見学(七宗町)
・白扇酒造本店見学(川辺町)
と盛りだくさんの内容で、総勢22名で行ってきました。
川をめぐる歴史、水が作り出す自然、水と共に作り出される食品それぞれを学び、体験することができ充実し、貴重な一日でした。
愛知用水の取水口
井戸七宗町長にご挨拶いただく
飛水峡の美しい景色
木曽川と飛騨川の合流地点の川合の渡し跡のある川合公園からの眺め。ボートの練習風景が見えます。
中山道や東山道が木曽川をどこで渡ったのか、過去の歴史上の戦で川のどこの部分を渡ったかは歴史家が調べる重要な視点だそうです。
また、戦争の時、この合流点は名古屋の方面を爆撃するB29が位置を確認するためのポイントだったそうです。爆撃を終え帰還するB29がUターンしていく時に余った爆弾を可児市周辺に落としていったことが度々あったそうです。
飛騨川に浮かぶ小さな「島」に小山観音はあります。
流通の拠点として栄えた兼山湊跡
兼山湊跡を下から見たところ
飛水食品で出来たてのがんもと厚揚げをいただきました。
そしてところてんも食べました。どれもおいしく大満足。お店で食べることができるようになっています。ご主人から良い食品づくりへのこだわりを伺いました。その話しぶりからご主人の真摯な姿勢が伝わってきました。
味りんづくりで有名な白扇酒造に伺いました。3年醸造の味りん、飲む味りんなどの味見をさせていただき味りんの味と香りを再認識しました。また社長からお酒の醸造に関するお話を熱っぽくしていただき感謝です。
2014年08月29日
吹上にある豚ホルモンの店「でらホル」で飲み会でした。串焼き柔らかくておいしいし、どての串もおいしかったです!!
店長とツーショット!
「文化のみち二葉館」で開催されているテラオハルミ「太陽カシスキー文庫」展を見てきました。
小さな絵本が700冊
絵本以外の作品もカラフルです
第3期名古屋市ホームレスの自立の支援等に関する実施計画(2014年〜2018年)がまとまり発表されました。第3期計画の基本目標として
1 就労と福祉等の援護による多様な自立
2 自立の定着
の2点を掲げています。
この目標の説明で、案の段階では「半福祉・半就労」の自立観を含む弾力的で個別性の高い自立支援をすすめるという表現でしたが、「半福祉・半就労」という言い方では多くの市民に誤解を生むし、表現自体も良くないのではと指摘し修正されました。その結果、その部分は「弾力的で個別性の高い自立支援」とか「個々の状況に応じた多様な自立」という表現に変わりました。そして「多様な自立」については、
「就労」と「福祉等の援護」の両面から複合的・段階的な支援を受けて、利用者個々の実態に合った達成可能な自立を目指すことを意味するものです。
という注釈が付されました。
第3期に新規に取り組まれる施策として、自立支援事業の機能拡充、中間的就労の場の確保と活用、アフターフォロー事業の拡充、NPOやボランティア団体との連携などが提案されています。
26日に市民税5%減税に関する市民アンケートの結果が発表されました。この調査は26年度第1回市政アンケートの質問項目の一つとして行われました。ちなみ同時に行われた他の質問項目は「インターネットを活用した行政サービスについて」と「農業公園について」でした。このアンケートは7月8日〜22日の間に、20歳以上の市内居住の人2000人を無作為抽出して行われ、有効回収率は46.6%でした。
アンケートの結果をいくつか見てみます。
◆5%減税を実施していることを知っていると回答した人が63.5%。
これを高いとみるのか低いとみるのか判断が分かれるかもしれませんが、減税議論の真っただ中にあった身としては低い気がします。
◆課税されているかまたは扶養家族になっている人に減税額を知っているか聞いたところ50.8%の人はわからないと答えています。
◆減税額をどのように使いましたかとの問い(複数回答)に対しては、
・日常生活の中で使った(使う予定である)という人が 51.4%
・旅行やレジャー、外食など日常の生活人は分けて使った(使う予定)という人が
4.3%
・寄附した(する予定)という人が 0.3%
・貯金した(する予定)という人が 4.7%
・わからないという人が 36.2%
という結果でした。
これらの結果から見ると、河村市長の言う「市民に税金を返して市民自身が判断して様々な活動を支援するために寄附してもらう」という論理は現実の前に跳ね返されていると言えます。そして予想されたことですが、減税額がわからないという人が多いということがあります。少額でも戻っているのだからありがたいというような意見もありますが、その戻っている額を実感していない、わかっていないとすれば、施策としての減税は意義が薄れているといえるのではないでしょうか。このアンケート結果には370件の自由意見の内容が明らかにされています。この内容の分析もしてみないといけないと思っています。
今後、9月末には法人を対象としてアンケート結果が、10月には減税の効果についてのシュミレーション結果がまとめられる予定になっています。
2014年08月28日
午前中、盲ろう者団体の方の名古屋市への要請行動に立ち会い様々な課題についてお話を伺う機会になりました。盲ろう者のサービス提供基盤がまだまだ弱いので制度や仕組みの変更にはしっかりと当事者の声を聞いて対応しなければならないと思いました。
午後は財政福祉委員会の請願審査でした。
夜、「水源の里を守ろう 木曽川流域みん・みんの会」の総会でした。いつもは講演会とセットで行うのですが、今年はあさってに木曽川中流域日帰りツアーを行うので活動報告と今年度の方針について話し合う総会となりました。総会には七宗町や木曽広域連合の方も出席していただき様々な意見をいただきました。下流域のニーズをもっと上流の人が敏感に感じ取ってほしい、マラソンなどの大会でもっと木曽の水を使ってもらうようにしたらどうか、人口減少している上流域の大変な状況を住民からもっと聞きたいなどの意見が出ました。みん・みんの会も活動を始めて7年目に入ろうとしています。活動も新たな段階への展開が必要な時期になっていることを思う総会となりました。
少数精鋭?で総会を行いました
2014年08月27日
夕方、南木曽町に伺い7月9日の土砂災害に対する義援金を届けてきました。この義援金は、木曽川流域の上下流交流・連携に取り組む「みん・みんの会」が募った募金で、11万2000円をちょうど出張から帰った宮川町長に直接渡すことができました。
また堀総務課長から被害の概略の説明を受けました。役場で説明を受けていると強い雨が降り始めました。堀さんに聞くと、南木曽では多い時には年間2000〜3000ミリくらい降るということでした。雨が多い地域とは知っていましたがそんなに多いとは驚きでした。
義援金を届けた後、あたりは暗くなり始めていましたが、災害現場である梨子沢の近くに行き状況を見てきました。まだ大きな石がゴロゴロしていましたが、堀課長の話によれば当初は8メートルもある岩が転がっていたそうです。状況は落ち着いているとはい本格的な復旧にはまだ時間がかかりそうでした。
宮川南木曽町長に義援金を手渡す
堀総務課長から被害状況の説明を受ける
まだ大きな石が残る梨子沢
中央線で被害のあった場所
名古屋市民生委員大会があり式典に参加させていただきました。3000人もの民生委員や関係者の方が白鳥センチュリーホールに集まりました。地域での日頃の活動に感謝です。
私は式典の舞台の上にいます
3階席までびっしり
2014年08月26日
第5回木曽川三川流域自治体シンポジウムが名古屋市公館で行われたので傍聴してきました。このシンポジウムはCOP10を機に流域自治体が集まって「流域自治体宣言」を発したことに始まっていて、主催は名古屋市上下水道局です。
今日は30自治体1広域連合の参加で行われました。今回は、木曽川三川旅行企画選考会2014ということで17の自治体から提案のあった旅行企画のうち、旅行会社などが選んだ4つの企画から最優秀を選ぶ最終選考会の実施がメインイベントでした。
4つの企画は、NPOガイア・イニシアティブ(王滝村)、木曽観光連盟、馬瀬地方自然公園づくり委員会(下呂市)、下呂市観光課から提案されました。そのうち最優秀には木曽観光連盟の「木曽路とっておきコレクション:木曽路を丸ごと味わい尽くす」が選ばれました。
また、この10月に開催される木曽三川流域サミットが行われる岐阜県七宗町の井戸町長からサミットの内容説明と参加呼びかけが行われるとともに富加町と稲沢市から自治体についての発表が行われました。最後に南木曽町から土砂災害支援のお礼がありました。でも河村市長も含め下流の人から南木曽の災害に触れた人がいなかったのは意外でした。まだまだ流域連携が血肉化していません。
名古屋市の呼びかけだからこのように多くの自治体が参加しているのだと思いますが、多くの自治体が集まってやっている割には「熱」を感じられないのが残念です。今年は旅行企画など趣向を凝らしたと言えますが、「熱」をもってこの三川シンポジウムを継続するならば、流域自治体で共通に取り組める何かを具体化するようなアイデアを出す必要があるようです。
河村市長はあいさつで、「下流地域が上流にお金で応援しなきゃいかんという話もありますが、わしゃ減税なもんで。国が召し上げたお金を尾張共和国に戻してもらえれば面白いことができるんだが」といつもの調子で話の焦点はズレていくのは私が本会議で質問した時と全く同じでした。お金を出して何か具体的なこと一緒にやりましょうよ河村市長!
会場の様子
流域サミットを呼びかける
井戸七宗町長
2014年08月25日
藤井美濃加茂市長が保釈されました。6月24日の逮捕から2か月です。私はマスコミの報道からしか事情がわかりませんが、藤井市長は逮捕されてから一貫して否認していること、贈賄側の供述は現金授受を認めていることくらいしかわかりません。逮捕直後の頃の報道のみに惑わされることなく、あくまでも「疑わしきは被告人の利益に」=「推定無罪」という原則を念頭におかねばなりません。そうであれば美濃加茂市議会の問責決議もおかしなことなのです。
今日のインターネットの記事によれば、藤井市長の取り調べの際に、「早くしゃべらないと美濃加茂市を焼け野原にするぞ」と言われたということです。普通考えるとこんなことを藤井市長が作り話をするとは考えにくい状況です。ありきたりの事件ドラマでも出てこなさそうなセリフです。やはり取り調べの可視化は必要です。そして今回のような事件こそ公判においてはすべての証拠を開示する制度がどうしても必要だと思います。自治体の長を逮捕するという重い事実を生じさせるに足る証拠があるはずだと普通誰しも思うのではないでしょうか。そのような証拠があるのかどうか明確に市民にもわかるようにしないと藤井市長を選んだ市民の意思をないがしろにすることになってしまうからです。
そして異例なのは、保釈の条件として市の幹部など30人ほどとの接触禁止が付されているということです。なぜ市の幹部との接触を禁止しなければならないのでしょうか。単に口裏合わせをするからというのではあまりにも根拠薄弱です。逆に検察側の自信のなさが裁判所の判断に反映されているのかもしれません。いろんなことが異例づくめで進行している今回の事案。冷静になって注視することが地方自治を守ることにつながると思っています。
2014年08月24日
衆議院議員古川元久さんの後援会が開催したサマーコンサートであいさつさせていただきました。ありがとうございました。
メガネを壊したので修理に行きました。その帰りインターン生を連れて久し振りに撞木館(東区撞木町)を訪れました。
欧米の風景絵皿展とドイツ製鉄道模型の運行という企画が行われていました。いつもながら落ち着けるスペースですが、館内を見て回っていると天井板が沿っているところや台所の床が養生テープで押さえてあるところがあったのでどうしたのかとスタッフの人に聞いたところ、館内いろいろと傷みが出ていて雨漏りもするということを伺いました。古いものを大切に使うためには丁寧なメンテナンスが必要なのは当然です。早いうちに対応した方が後々大変にならないので何らかの対策を考える必要がありそうです。
そして入口のところにオーガニックコーヒーの看板が目につきました。聞いたところ何と経営が(有)フェアトレーディングに変わったということでした。わっぱの会でもお世話になっているフェアトレーディングさんです。今日は時間がなくランチを食べることができませんでしたが、近いうちにもう一度訪れおいしいコーヒーを飲もうと思います。
なお、撞木館の入り口には階段がありますが、折り畳み式スロープが用意されているので中に入れますし、車いす対応のトイレもあるので車いす利用者の方もぜひ行ってみてください。
庭です
廊下の雰囲気がいいですね
2014年08月23日
今日の名古屋の空模様は不安定でした。夕方から雨が降り始め、盆踊りどころではありませんでした。最近は夕立というものが少なく、真夜中や朝方に激しい雨が降るということがよくあります。そして激しい雨がピンポイントに降るのです。7・9南木曽豪雨や今回の広島を中心にした「平成26年8月豪雨」と名付けられた豪雨はそんな背景の中で起きました。
避難勧告を出すタイミングが遅れましたがピンポイントの豪雨をどう評価し判断するのかは極めて難しい問題だと思います。先日、四日市市や鈴鹿市などで市全域に避難指示が出されました。そうすれば批判は避けられるのかもしれませんが、被害を必ず防げるわけではありません。行政などによる判断や情報伝達をどうするのかということはいま一度検討してみる必要があります。
しかし今回の豪雨はそのこと以上に、状況をどう判断し、どう行動すべきかという問いを個々人に突き付けたともいえるのではないでしょうか。依然として多くの行方不明者の方が存在しています。テレビで報道される被災者の方々の様子は深刻で、悲しく胸が詰まります。でも、それを第三者的に深刻だと言っているだけでは済まされないということを突きつけている最近の豪雨なのです。
雨に濡れる盆踊りのやぐら
2014年08月22日
まず旭川障害者福祉センターを視察しました。ここの施設の愛称は「おぴった」といい、アイヌ語で「みんな」という意味だそうです。ここも昨日の病院と同じく立派な建物です。名東区にある身障者スポーツセンターの体育館は空調がなく、館内の空調も限界にきているというのとは比べ物になりません。プールも床面が上下して水深調整できる立派なものでした。このセンターの運営は指定管理で、旭川市の17の障害者団体で旭川障害者連絡協議会というNPOをつくって受託しています。団体同士での意見調整は大変だとは思いますが、このような方法で行政からの仕事を獲得していくのは有効な方法だと思います。
立派なプール
次に旭川市動物愛護センター「あにまある」の視察でした。新築移転で市役所庁舎の集まる街の真ん中に設置されることになりました。犬の殺処分はこのところ行われていませんが、猫の保護数が増え、地域猫の避妊などの対応策が課題であるとのことでした。町の中心に施設があるということで市民に親しみやすいものになっているのではないかということでした。
周りは庁舎関係の建物が
積乱雲か?帰りの飛行機より
2014年08月21日
まず札幌市役所に行き、生活困窮者自立支援モデル事業の実施状況と生活保護制度における自立支援事業の内容それぞれの説明を受けました。
生活困窮者自立支援モデル事業は今年の1月から開始され、今までに中間的就労が実施されたのは何とまだ1件でした。中間的就労の利用者受け入れの協力の意向表明をしている事業所が18団体もあるというのにこの結果はどうしたことなのか。一度詳しく聞いてみる必要があるようです。いくらモデル事業でも一番核になるべき中間的就労の状況がこれでは先行きが思いやられます。
続いて生活保護制度の自立支援事業について説明を受けました。就労ボランティア体験事業というものがあり、今年からは全区で実施されているそうです。昨年の実績では年間34人が就労したそうで、その人たちの年齢層は幅広いそうです。これも詳しく追加で調べてみたい事業でした。
市役所を後にして重度障害者の入所施設「緑ヶ丘療育園」の視察をしました。160名の入所施設で、隣には入所更生施設もありました。入所者の平均年齢は50.5歳で外出するのも難しい人が増えているそうです。入所者で気管切開をしている人は4名ですが人工呼吸器を使用している人はいませんでした。また、胃ろうまたは経管栄養の人が25名でした。職員も手厚く配置されています。
しかしこのような入所施設を見学するといつものことですが、見学して入所者の様子を見ていると、入所者がずっとこの施設で生活していくのかと思うと胸が詰まる思いがします。やはり多くの人が一カ所に暮らすのではなく、街の中でもう少し小さな単位で暮らすことができるような社会に変えていかなければと改めて、改めて思わずにおられませんでした。そして名古屋にできる重症心身障害児・者施設では入所者がいろんな人の協力で外出や外泊もどんどんできるような生活が送れるようになればと思います。
午後からは旭川市立病院を視察しました。建物はすごく立派でバブリーな雰囲気が漂っています。天井の高い吹き抜けは光熱水費を押し上げているそうです。病院内は掃除が行き届いていて極めてきれいでした。職員の人に聞いたところ、外来棟と入院棟を別の業者に委託しているとのことでした。お互い競争して相乗効果が出ているようで、いい意味での競争が実現しているようでした。
立派な高い吹き抜け
2014年08月20日
夜の食事が終わった後に、共同連の仲間であるNPO札幌障害者活動支援センターライフが運営している生活の場「まちかど荘」を訪ねました。スタッフの方に迎えに来てもらいました。夜遅くの訪問にもかかわらず住人の方とお酒を飲みながらあれこれと話すことができました。「まちかど荘」は、元旅館だったところを借りています。現在、男性9名で生活しています。部屋は一人8畳ほどあるそうでなかなかな環境だと思いました。そしてなかなかの個性派が揃っている感じでした。住人の一人の方には、来月の共同連熊本大会の生活分科会で発題者になってもらっているので、事前に話ができてラッキーでした。またゆっくりと伺いたいと思いつつホテルまで送ってもらったのでした。本当にお世話になりました。
まちかど荘
食堂です
札幌市役所の1階に「元気カフェ」というコーヒーや軽食を提供するカフェがあります。この場所は、「札幌市障がい者共働事業」という制度を使っています。この制度は、NPOライフなどが中心になって提案し、上田市長が積極的に取り組み実現した制度で、障害ある人とない人が共に働くことに重点を置いた内容になっています。現時点で札幌市には15カ所ありますがそのうちの一カ所になります。この元気カフェは市内にカフェを展開する事業所が運営しています。
市立病院にある売店のコンビニはこの共働事業所ではありませんが、病院の職員の人に伺ったところでは、障害者雇用をすることが応募の条件だということでした。このようなところにも上田市長が障害者雇用をすすめていこうという姿勢が明確に表れています。
札幌市庁舎にある元気カフェ
今日から二泊三日で財政福祉委員会の視察です。
朝8時前に名古屋駅を出発して午後2時にはまず最初の視察先の市立札幌病院に到着しました。2008年に電子カルテシステムをNEC製で導入したものを来年の1月にシステムの見直しに伴い富士通製になるとのことでした。会社が変わるので大変なこともあるようですが、一度システムを入れたら会社の変更をしないこともありがちなことなので、入札を通じてしっかりと競争させることが十分可能であることがわかりました。
続いて札幌市役所に伺い、財政に関する調査。行財政改革についても説明を受けました。2011年〜2014年を計画期間とする行財政改革推進プランには、このプランで4年間の収支不足に対応するとともに、市長のマニフェストを実現するための「まちづくり計画」に位置付けられた事業を実現するための財源を確保するためのものでその効果額が520億円と書かれています。何のために行財政改革を行うのかが明確に表現されています。名古屋市のメリハリの無さからすると新鮮に感じました。
2014年08月19日
愛知県後期高齢者医療広域連合議会が開催され、補正予算と決算認定、請願について議決しました。補正予算、決算認定ともに一般会計は全会一致で、特別会計は賛成多数で可決されました。また請願については賛成少数で否決されました。
2014年08月18日
2014年08月17日
共働研究会の総会・報告会が大阪・芦原橋で行われたので参加してきました。総会では今年は障害者就労継続支援A型に関する全国調査と障害ある人とない人の「共働」についての調査を行っていくことを確認しました。
続く報告会は「悪しき障害者就労A型事業所の実態報告&障害者雇用促進法の差別禁止に関する取り組み」という二つの内容で行われました。
A型事業所の実態報告は、名古屋、滋賀、熊本の3つの地域の方から行われ、情報を把握した悪しきA型事業所の実態が報告されました。その後参加者で議論を行いました。その中では「悪しきA型」の定義をどうするのかが議論となりました。水増し請求をしない限り、働き方の内容だけではただちに違法になるわけではないので問題提起をどうしていくのか考えると、我々がある程度定義を明確にしていく必要があるからです。例えば総収入に占める事業売り上げがどうなっているかを把握していくことは重要なポイントであることが改めて確認されました。また、「良いA型のモデルを作る必要があるのではないか」「良いA型という発想はしない方がよい」「一生懸命に事業を展開しようと動けば動くほど赤字になる」など様々な意見が出されました。今後問題点を整理して厚生労働省への申し入れの中に反映していくことが確認されました。
障害者雇用促進法の差別禁止に関する取り組みについては、今年6月にまとめられた、「改正障害者雇用促進法に基づく差別禁止・合理的配慮の提供の指針の在り方に関する研究会の報告書」についての概要が報告されました。しかし、この報告書の内容では、合理的配慮について結局は当事者間の判断ということにならざるを得ないようなことになり、異議がある時に一般的な紛争処理の仕組みだけでは問題が解決しないだろうということが容易に想像できます。また使用者と一労働者という力関係がある中で果たして有効に機能するのだろうかという懸念があります。大企業の中でしっかりした具体例などが積み上げられないと中小企業での合理的配慮が拡がることが難しいのではないかという指摘も出されていました。
お盆の最終日という時期で参加者は少なかったですが充実した議論が行われました。
2014年08月16日
大気の状態が不安定で今にも雨が降りそうな空模様の中、夕方からお祭りや盆踊り会場を回りました。午後5時前、名古屋駅西側付近にいて雨は降っていなかったのですが、そのとき西区の人から電話がかかってきて、「すごい雨が降っている」というのでした。直線距離にして2キロくらいしか離れていないのに状況が全く異なる、最近のゲリラ豪雨の一端を実感したのでした。
笹島労働者夏祭りの会場ではビンゴ大会などが行われていました。また、会場の一角にはこの一年間で亡くなった24名の方の名前が亡くなった日にち入りで木の板に書き込まれ並んでいました。線香をあげささやかな追悼の意を表させていただきました。先日、都内のホームレスに聞き取り調査を行ったNPOが、4割のホームレスが何らかの襲撃を受けた経験があるという深刻な実態があることを報告したことが報道されていました。依然としてホームレスに対する差別意識が存在しています。ホームレスの人たちを支える施策をさらに前に進めていく必要性があるのだと思います。
会場であいさつさせていただく
亡くなった方を追悼
名古屋城宵祭りの盆踊り会場に伺いました。名古屋市内の女性会の方々の協力で盆踊りが行われています。踊り始めて少し経つと雨が降り始め休憩に入りました。そして次の宮根学区の合同盆踊り会場に伺いました。夕方の一瞬の豪雨の中、準備が大変だったそうです。地域住民のための活動に敬服です。
名古屋城での盆踊り
宮根学区盆踊り
2014年08月15日
民主党愛知県連主催の「第41回民間戦災死没者追悼祭」に参加し、死没者の追悼と不戦の誓いの気持ちを新たにしてきました。会場は熱田区の宮の渡し公園。40人ほどの参加で寂しい感じですが、ささやかながらも思いを持った人が集まり継続して続けられている追悼祭です。
今年も元全国戦災傷害者全国連絡会会長の杉山千佐子さんが参加され、参加者に対してお礼の言葉を述べられました。杉山さんはもうすぐ99歳を迎えますが、しっかりとした口調で空襲被害の悲惨さを語られました。体調がすぐれない中で参加されたようですが、まさしく献花をされている姿そのものが平和への思いを体現していたように思います。
式典の後、七里の渡しの船着き場跡から平和を想うメッセージを書き込んだ灯篭をす精霊流しが行われました。
あいさつされる杉山さん
堀川に浮かぶ灯篭
2014年08月14日
久しぶりに一日ゆっくりしていました。知人を誘いコーヒーを飲みに行き、カツカレーを食べて、昼寝をするというのんびりとした一日です。読みたい本でもゆっくり読めばいいものを結果的には睡眠時間が多いだけです。でも貴重な一日でした。
2014年08月13日
前から気になっていた壊れた足を温めるアンカや板切れ、棚の部品、カーテンレールなどの粗大ごみ的不燃物を一気に片付けました。今日はインターン生の二人も来ていたので捨てに行くところまで一緒に行きました。
まずは環境事業所に行って届出をしなくてはいけません。せっかく環境事業所に行ったので隣接する猪子石ごみ焼却場のごみピットと中央制御室を見せていただきました。それから大江破砕工場に自己搬入です。重量測定の結果なんと40キロもありました。800円を支払い処理は完了。
なんと40キロも
2014年08月12日
「柿のたね」を伺った後六本木ヒルズの森美術館に行ってきました。「ゴー・ビトウィーンズ展 こどもを通して見る世界」のチラシを県芸文で手に入れていてぜひ行きたいと思っていたところ東京に行く機会を得たので見逃すわけにはいかないと行ってきました。
「文化を超えて」「自由と孤独の世界」「痛みと葛藤の記憶」「大人と子どものはざまで」「異次元を往来する」という5つのテーマがセクションに分けて展示されています。金仁淑(キムインスク)の在日をテーマにした作品群。ピカソの泣く女の絵を見ながら感じることを言葉にしていく様子を映像に収めた、リネカ・ダイクストラの作品、パレスチナの分離壁という状況の中でも豊かな発想の子どもたちがいることを伝えようとするスヘール・ナッファール&ジャクリーン・リーム・サッロームの「さあ、月へ」、子どもたちがワークショップで作成した地獄を創造した作品とその作品で何を表現したかを説明する子どもの映像で構成された山本高之の作品などどれも気持ちが惹かれるものでした。結論をいえば非常に良かった、見れて良かったとの一言です。
実は森美術館に入るところでもう一つの展覧会「ガウディ×井上雄彦 シンクロする想像の源泉」が行われているのを知りそれも観てきました。ガウディの作品は以前から写真などで見ているので目新しさはありませんでいたが、様々な模型や再現されたドアノブに触わることができるなどの仕掛けは楽しめました。
六本木ヒルズです
雨模様で視界不良の中の東京タワー
ドラえもんがいっぱい。写真撮る人もいっぱい。
私もその一人に。映画の宣伝のようです。
東京目黒区で障害ある人とない人が共に生活をしているシェアハウスを訪ねどのような取り組みをしているのか伺ってきました。活動の基盤は「柿のたね」という団体です。地域の学校に通う活動をしてきた知的障害ある方とその活動を支えてきた人たちで1986年に結成されました。
グループホームのように障害者ばかり集めるやり方はおかしいのではないか、また障害ある人と介助者だけがアパートを借りて住むという方法だと閉鎖的で虐待が生じやすくなるのではないかなどと議論をした中で、支援者の中で家を建てる人がいてそこをシェアハウスとして提供しているという場です。現在、家主さん含め3名で生活し、介助者も来ると4名の生活になります。
グループホームにスプリンクラーを設置しないといけないとか、グループホームのミニ施設化が進行している状況は、本来障害ある人が地域における生活の場を提供しようとしてスタートした考え方とずれてきていることを感じざるを得ません。そして生活困窮者の生活の場をどうするかなど、障害者だけではない人たちの生活の場の確保をどうするかが重要な課題になってきています。わっぱの会で取り組んできた「共に生活する」という実践をさらに前に進めていくことが求められています。来月行なわれる共同連全国大会においても生活に関する分科会を設けそのあたりのことを議論する予定です。
共通のスペース
1階の様子
2014年08月11日
事務所の近くにあるお店「炭火ほるもんひとすじ別邸」で飲み会がありました。新鮮なホルモンがおいしい。ぜひみなさん訪ねてください。
私たちがワイワイやっていると隣の席に子ども二人と両親の家族が座りました。子どもがかわいいので声をかけてみると、高知から長島温泉にある「アンパンマン子どもミュージアム」に来たとのこと。アンパンマンミュージアムの本場である高知からわざわざ名古屋を訪れたのです。私たちは名古屋城がいいよとか、水族館がいい、徳川園がいいなどと酔っぱらった勢いであれこれ話しました。それにしてもアンパンマンの威力はすごい。
2014年08月10日
台風が通過しました。風が強かったせいで枝が折れたりしたものが散乱しているところが多くありましたが、名古屋市内は大きな被害はなかったようです。四日市市や鈴鹿市では避難指示が全市的に出されるなどしました。四日市市の親族に電話をして聞いてみると、確かにサイレンが鳴っていたが、雨が降っているけれど避難する感じではないという反応。
四日市といっても、川の傍や土地の低いところなら理解できますが、土地の高いところ、山が迫っていないところも四日市市内では多くあり、そのようなところでは避難指示といわれてもリアリティがないのは当然ではないでしょうか。一律に避難指示を出すのは問題があるように思います。どこに危険が迫っているのかをある程度的確に把握したうえで、危険が迫っている地域に適切に情報を提供をしていくということを積み重ねる必要があるのではないでしょうか。そうしないと情報を発する側が状況を分析する力が、情報を受け取る側が真剣に考える姿勢がなくなると思います。いろいろと考えさせられる全市避難指示でした。
2014年08月09日
雨が降る中、名古屋市美術館で開催中の「挑戦する日本画:1950〜70年代の画家たち」展に行ってきました。「日本画」の定義について私はわかりませんが、「挑戦する」というテーマが時代状況画家たちが格闘した作品が展示されているのだろうと思います。丸木位里さんの「牡丹」という作品は、ボタンが墨で黒く、濃く描かれていますが、先日豊田市美術館で見たフォートリエの黒く描かれた花を思い出し、両作品とも力強く訴えている何かがあると感じました。
多くの作品が面白く、多様な表現群が展示されている興味深い展覧会でした。このような地味な展覧会に人がたくさん来て評価されるといいのにと思わずにいられません。期間はあとわずか、ぜひ見に行ってください。
今日は長崎原爆の日。午前中ある労働組合の大会に出席していましたが、11時02分の原爆投下の時間に合わせて黙とうを捧げました。広島の平和宣言では触れられなかった集団的自衛権にも言及しています。集団的自衛権への評価を直接してはいませんが、「平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます。」との表現で懸念を表明しています。
宣言文は以下に。
以下宣言文です。
69年前のこの時刻、この丘から見上げる空は真っ黒な原子雲で覆われていました。米軍機から投下された一発の原子爆弾により、家々は吹き飛び、炎に包まれ、黒焦げの死体が散乱する中を多くの市民が逃げまどいました。凄まじい熱線と爆風と放射線は、7万4千人もの尊い命を奪い、7万5千人の負傷者を出し、かろうじて生き残った人々の心と体に、69年たった今も癒えることのない深い傷を刻みこみました。
今も世界には1万6千発以上の核弾頭が存在します。核兵器の恐ろしさを身をもって知る被爆者は、核兵器は二度と使われてはならない、と必死で警鐘を鳴らし続けてきました。広島、長崎の原爆以降、戦争で核兵器が使われなかったのは、被爆者の存在とその声があったからです。
もし今、核兵器が戦争で使われたら、世界はどうなるのでしょうか。
今年2月メキシコで開かれた「核兵器の非人道性に関する国際会議」では、146か国の代表が、人体や経済、環境、気候変動など、さまざまな視点から、核兵器がいかに非人道的な兵器であるかを明らかにしました。その中で、もし核戦争になれば、傷ついた人々を助けることもできず、「核の冬」の到来で食糧がなくなり、世界の20億人以上が飢餓状態に陥るという恐るべき予測が発表されました。
核兵器の恐怖は決して過去の広島、長崎だけのものではありません。まさに世界がかかえる“今と未来の問題”なのです。
こうした核兵器の非人道性に着目する国々の間で、核兵器禁止条約などの検討に向けた動きが始まっています。
しかし一方で、核兵器保有国とその傘の下にいる国々は、核兵器によって国の安全を守ろうとする考えを依然として手放そうとせず、核兵器の禁止を先送りしようとしています。
この対立を越えることができなければ、来年開かれる5年に一度の核不拡散条約(NPT)再検討会議は、なんの前進もないまま終わるかもしれません。
核兵器保有国とその傘の下にいる国々に呼びかけます。
「核兵器のない世界」の実現のために、いつまでに、何をするのかについて、核兵器の法的禁止を求めている国々と協議ができる場をまずつくり、対立を越える第一歩を踏み出してください。日本政府は、核兵器の非人道性を一番理解している国として、その先頭に立ってください。
核戦争から未来を守る地域的な方法として「非核兵器地帯」があります。現在、地球の陸地の半分以上が既に非核兵器地帯に属しています。日本政府には、韓国、北朝鮮、日本が属する北東アジア地域を核兵器から守る方法の一つとして、非核三原則の法制化とともに、「北東アジア非核兵器地帯構想」の検討を始めるよう提言します。この構想には、わが国の500人以上の自治体の首長が賛同しており、これからも賛同の輪を広げていきます。
いまわが国では、集団的自衛権の議論を機に、「平和国家」としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされています。
長崎は「ノーモア・ナガサキ」とともに、「ノーモア・ウォー」と叫び続けてきました。日本国憲法に込められた「戦争をしない」という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもあります。
被爆者たちが自らの体験を語ることで伝え続けてきた、その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます。
長崎では、若い世代が、核兵器について自分たちで考え、議論し、新しい活動を始めています。大学生たちは海外にネットワークを広げ始めました。高校生たちが国連に届けた核兵器廃絶を求める署名の数は、すでに100万人を超えました。
その高校生たちの合言葉「ビリョクだけどムリョクじゃない」は、一人ひとりの人々の集まりである市民社会こそがもっとも大きな力の源泉だ、ということを私たちに思い起こさせてくれます。長崎はこれからも市民社会の一員として、仲間を増やし、NGOと連携し、目標を同じくする国々や国連と力を合わせて、核兵器のない世界の実現に向けて行動し続けます。世界の皆さん、次の世代に「核兵器のない世界」を引き継ぎましょう。
東京電力福島第一原子力発電所の事故から、3年がたちました。今も多くの方々が不安な暮らしを強いられています。長崎は今後とも福島の一日も早い復興を願い、さまざまな支援を続けていきます。
来年は被爆からちょうど70年になります。
被爆者はますます高齢化しており、原爆症の認定制度の改善など実態に応じた援護の充実を望みます。
被爆70年までの一年が、平和への思いを共有する世界の人たちとともに目指してきた「核兵器のない世界」の実現に向けて大きく前進する一年になることを願い、原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市とともに核兵器廃絶と恒久平和の実現に努力することをここに宣言します。
2014年(平成26年)8月9日
長崎市長 田上 富久
2014年08月08日
名古屋市のマークは漢字の「八」が〇の囲まれていて、まるはちマークと呼ばれています。これは尾張藩で使われていたしるしを元にしています。平成8年(1996年)の8月8日に「まるはちの日」と定められました。最近ではあまり注目をされていない日になっているように感じます。
今日もどこかでイベントが行われていたのだろうかと思うくらいの認識しか私にはありません。市の施設などでは入場料などがところが多くあるはずです。名古屋を世界と勝負する面白いまちにしようと河村市長は息巻いていますが、このような日を大切育てて市民みんなでイベントを企画したり、参加したりする楽しい「まるはちの日」にしてみるようなことをした方がいいと思います。そんな地に足を付けた取り組みが名古屋の風土に合っていると思うし、そんな雰囲気を作り出すことが新たな面白味を生み出すと思うのですが。
台風が接近しています。被害が少しでも小さくて済むように願うばかりです。
2014年08月07日
午後からは千種区保健所運営協議会に市会議員選出の委員として出席し今年度の運営方針や昨年度の状況の報告を聞きました。区役所から帰ろうとしていたら1階のあじさい広場で何かやっている、ぜひ見ていってと誘われました。名古屋市立大学芸術工学部の栗原康行准教授監修の千種区の魅力紹介DVD「こあらっちのお散歩レポート」(5分)のお披露目の場でした。日泰寺や揚輝荘などを紹介する内容でした。区の職員は第2弾、第3弾と作成したいが予算のこともあり、、、と歯切れが悪くあいさつをしていました。なお千種区のホームページのトップページから見ることができます。
あいさつされる製作スタッフの方々
夜はまた盆踊り会場を回らせていただきました。
汁谷公園
自由が丘学区
春岡学区
先月の海外視察においてヘルシンキ図書館を訪れいくつか資料をいただいたのでその資料を持って鶴舞中央図書館を訪れました。規模的には鶴舞中央図書館の方がはるかに大きいですが、規模だけではないものをヘルシンキの図書館で感じ、その感想も含め職員の方と意見交換をしました。
ヘルシンキ図書館の責任者の方が、「国全体の予算の中で図書館に占める予算額は1%しかないけれども国民の70%が利用するのだから税の使い方としては図書館は非常に効率よい施策である」と話していたことや職員のモチベーションが高い印象を受けたことなどを伝えました。
お話を聞くと他局との連携など新たな取り組みを模索していることがわかりました。図書館側が市の組織内部からの調べものの問い合わせに応じる取り組みを始めていることも教えていただきました。いろんな形で図書館を利用していくことが基本なので地道に取り組んでいただきたいと思いました。
しかし図書館側の宣伝下手のためか、私のアンテナの感度が悪いためか様々な取り組みが市民に知られているわけではありません。市民のニーズを把握することも重要ですが、図書館が何を考え、何をしようとしているのかというコンセプトをしっかり確立して積極的に市民に訴えていきながらサービスを提供していくことなしには市が直営している図書館の意義が問われることになると思います。
2014年08月06日
JR中央線は、7月9日に南木曽町で起きた土砂崩れで坂下駅と野尻駅の間が普通になっていましたが今日運転が再開されました。木曽観光連盟はじめ中央線沿線沿いの観光連盟や長野県、JRの職員が木曽、松本に来てくださいと観光PRするイベントが朝からあったので名古屋駅コンコースに伺い木曽広域連合の方々にお会いしました。広域連合の人とは、木曽と名古屋の中間でもある中津川で飲み会でも計画しましょうと提案をしてきました。
名古屋駅コンコースでのPR
そこで初めて知ったのが「アルクマ」という長野県の観光PRキャラクターです。「信州をクマなく歩きまくる」ということらしい。
長野県観光PRキャラクター
アルクマ
今日は「69回目のヒロシマ原爆の日」です。平和宣言では集団的自衛権には直接言及がありませんでしたが、「……我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があります。そして、今後も名実ともに平和国家の道を歩み続け、各国政府と共に新たな安全保障体制の構築に貢献してください。……」と日本政府に訴えました。
平和宣言全文はこちらに
広島平和宣言(平成26年)
被爆69年の夏。灼(や)けつく日差しは「あの日」に記憶の時間(とき)を引き戻します。1945年8月6日。一発の原爆により焦土と化した広島では、幼子(おさなご)からお年寄りまで一日で何万という罪なき市民の命が絶たれ、その年のうちに14万人が亡くなりました。尊い犠牲を忘れず、惨禍を繰り返さないために被爆者の声を聞いてください。
建物疎開作業で被爆し亡くなった少年少女は約6,000人。当時12歳の中学生は、「今も戦争、原爆の傷跡は私の心と体に残っています。同級生のほとんどが即死。生きたくても生きられなかった同級生を思い、自分だけが生き残った申し訳なさで張り裂けそうになります。」と語ります。辛うじて生き延びた被爆者も、今なお深刻な心身の傷に苦しんでいます。
「水を下さい。」瀕死の声が脳裏から消えないという当時15歳の中学生。建物疎開作業で被爆し、顔は焼けただれ、大きく腫れ上がり、眉毛(まゆげ)や睫毛(まつげ)は焼け、制服は熱線でぼろぼろとなった下級生の懇願に、「重傷者に水をやると死ぬぞ。」と止められ、「耳をふさぐ思いで水を飲ませなかったのです。死ぬと分かっていれば存分に飲ませてあげられたのに。」と悔やみ続けています。
あまりにも凄絶(せいぜつ)な体験ゆえに過去を多く語らなかった人々が、年老いた今、少しずつ話し始めています。「本当の戦争の残酷な姿を知ってほしい。」と訴える原爆孤児は、廃墟の街で、橋の下、ビルの焼け跡の隅、防空壕などで着の身着のままで暮らし、食べるために盗みと喧嘩を繰り返し、教育も受けられずヤクザな人々のもとで辛うじて食いつなぐ日々を過ごした子どもたちの暮らしを語ります。
また、被爆直後、生死の境をさまよい、その後も放射線による健康不安で苦悩した当時6歳の国民学校1年生は「若い人に将来二度と同じ体験をしてほしくない。」との思いから訴えます。海外の戦争犠牲者との交流を通じて感じた「若い人たちが世界に友人を作ること」「戦争文化ではなく、平和文化を作っていく努力を怠らないこと」の大切さを。
子どもたちから温かい家族の愛情や未来の夢を奪い、人生を大きく歪めた「絶対悪」をこの世からなくすためには、脅し脅され、殺し殺され、憎しみの連鎖を生み出す武力ではなく、国籍や人種、宗教などの違いを超え、人と人との繋がりを大切に、未来志向の対話ができる世界を築かなければなりません。
ヒロシマは、世界中の誰もがこのような被爆者の思いを受け止めて、核兵器廃絶と世界平和実現への道を共に歩むことを願っています。
人類の未来を決めるのは皆さん一人一人です。「あの日」の凄惨(せいさん)を極めた地獄や被爆者の人生を、もしも自分や家族の身に起きたらと、皆さん自身のこととして考えてみてください。ヒロシマ・ナガサキの悲劇を三度繰り返さないために、そして、核兵器もない、戦争もない平和な世界を築くために被爆者と共に伝え、考え、行動しましょう。
私たちも力を尽くします。加盟都市が6,200を超えた平和首長会議では世界各地に設けるリーダー都市を中心に国連やNGOなどと連携し、被爆の実相とヒロシマの願いを世界に拡げます。そして、現在の核兵器の非人道性に焦点を当て非合法化を求める動きを着実に進め、2020年までの核兵器廃絶を目指し核兵器禁止条約の交渉開始を求める国際世論を拡大します。
今年4月、NPDI(軍縮・不拡散イニシアティブ)広島外相会合は「広島宣言」で世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛けました。その声に応え、オバマ大統領をはじめ核保有国の為政者の皆さんは、早期に被爆地を訪れ、自ら被爆の実相を確かめてください。そうすれば、必ず、核兵器は決して存在してはならない「絶対悪」であると確信できます。その「絶対悪」による非人道的な脅しで国を守ることを止め、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりに全力で取り組んでください。
唯一の被爆国である日本政府は、我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があります。そして、今後も名実ともに平和国家の道を歩み続け、各国政府と共に新たな安全保障体制の構築に貢献するとともに、来年のNPT再検討会議に向け、核保有国と非核保有国の橋渡し役としてNPT体制を強化する役割を果たしてください。また、被爆者をはじめ放射線の影響に苦しみ続けている全ての人々に、これまで以上に寄り添い、温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう求めます。
今日ここに、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向け、世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。
平成26年(2014年)8月6日
広島市長 松井 一實
2014年08月05日
朝、吹上駅で街頭活動をしていると、通勤途中らしき男性から、「日本の将来は大丈夫だと思うか?」と聞かれました。私は、「基本的には若い人たちの新しい感性で対応し大丈夫だと思っています。でも外国人の人に労働を担ってもらうことは不可欠だし、物を買うことによる右肩上がりの経済拡大を目ざすモデルではない社会モデルが必要ではないでしょうか」と道端でのやり取りなので大雑把な話しかできませんでしたがそんな意見を述べました。その男性は「物を買おうとする意欲が社会を元気にするんではないか」と意見。もっともです。でも民主党政権で主張した「コンクリートから人へ」という考え方は重要な提起だったと思っています。そのスローガンをしっかりと政策に落とし込んでいく作業こそが今の民主党に必要で、その視点から安倍政権に対峙すべきだと思います。
その後、後期高齢者広域連合議会の定例議会の議案説明会、議員インターンシップの議員受入れ初日、千種区公職者会、千種区民生委員・児童委員大会式典に参加、わっぱの会の名古屋市との交渉に部分参加、日泰寺の盆踊り会場にあいさつに伺う、NPO共同連の会議に参加、といった感じで目まぐるしい一日でした。
日泰寺盆踊り
2014年08月04日
先日千種警察署の方がみえて今年度中に千石交番を大久手交番に統合するという説明がありました。統合の必要性について以下の説明がありました。
@今池中学校校区に交番が3カ所ある。
A交番に1〜2名に配置する体制では十分な治安維持能力を発揮できない事象が増加している
B多数の警官で対応すべき事案が多く、多数で対応することで住民生活を守りやすい。
そして、千石交番が築47年を経過し老朽化しているという理由もあります。
現在13カ所の交番が千種区内にありますが、来年の4月には12カ所になるというわけです。なくなる地域の人には不安なところですが、市民からの通報に素早くかつ適切に対応してもらうとともに、パトロールもしっかりしていただくことで市民の安心を確保していただくように要望しておきました。いただいた資料で現在の交番の配置状況を紹介します。
2014年08月03日
豊田市まで行ったので豊田市美術館に寄ってきました。現在、ジャン・フォートリエ展と生誕100年高橋節郎展が行われています。フォートリエの「人質」シリーズなど彫刻や版画など90点が展示されています。どれも独特の表現だと思います。肖像画も見ごたえがありますし、花を黒で表現した作品は一目で惹かれるものがありました。第二次大戦中に描かれ、人類の暴力を告発する作品といわれている人質シリーズの作品はフォートリエの思いが伝わってくるようです。
フォートリエ展のチラシ
フォートリエ「人質の頭部」
豊田市美術館は高橋節郎から多くの作品の寄贈を受けた多数のコレクションがあります。漆による作品群はどれも圧倒的な精密さで迫力があるし、デザインも伝統的なものと新しいものが入り混じったものが多くあり素晴らしいものです。
高橋節郎の作品
その他に「ドイツとオーストリアの雑誌とデザイン1890―1910」、現代アートの作品による所蔵品展示と見ているだけであっという間に時間が経過します。子どもたちのためのプログラム「こじまひさや あっち?こっち?どっち?」も行われているなど盛りだくさんです。現代アートに軸足を置いたこの美術館はいつも行けるわけではありませんが行くたびに満足できる美術館です。
茶室「童子苑」の前の庭
わっぱの会のお墓詣りに行ってきました。豊田市から岡崎市に入ったすぐのところにお墓があります。お墓ができてもう18年になり、毎年8月の今頃に行ける人でお墓参りをしています。わっぱの会のメンバーだった人や関係の人が10名眠っています。親戚ではない人たちが同じ墓に入っているのでそこに眠る人がどんな人だったのか新しいメンバーに伝えていくことも大事なことだなと思いました。
お墓の前でみんなで記念撮影
2014年08月02日
夜は盆踊り会場を4カ所ハシゴしました。夕方からぽつぽつと雨模様でしたが何とか持ちこたえて各学区の盆踊りが無事行われました。学区それぞれの個性がありますが、どこでも子どもたちの元気の良さが雰囲気を盛り上げていました。最初のうちは少し風があったのですがだんだんと風がなくなり蒸し暑くなりました。
見付学区
内山学区
千石学区
大和学区
なごや子ども市会の最終日。本会議場で各委員会ごとに現場視察に基づいた意見発表、いじめをなくし命の大切さを考える「子ども市会宣言」の採択、陸前高田市の子どもたちへのメッセージを送ることを採択などが行われた後記念撮影をして3日間の子ども市会が終了しました。名古屋市のことについて考えるいいきっかけになればいいなと思います。参加されたみなさんお疲れ様でした。
陸前高田市の子どもたちへの
メッセージとともに記念撮影
2014年08月01日
「ART NAGOYA 2014」(www.artnagoya.jp)が2日、3日と開催されます。この企画は今年で4回目で、全国から様々なギャラリーがナゴヤキャッスルホテル9階フロアの客室に展開され、作品の展示・販売が行われます。私は本日のプレビューに行ってきました。印象としては、「少女」をテーマにした作品や漆を利用した作品が目立つように思いました。また、植物を取り上げたり、自然環境を意識したような作品も多いような気がしました。
そんな中ギャラリーを回っていると、ギャラリー「hpgrp GALLERY TOKYO」の浅野健一さんの木彫りのお面の作品がありました。材料は檜と書いてあり、作家の方がみえたのでどこのヒノキですかと聞いたところ、「木曽の檜です。木曽の檜はヤニなどが少なく彫刻に向いているんです。」とのこと。へ〜そうなんだと新しい発見でした。ぜひ木曽の方にも紹介しないといけないねとお話をさせていただきました。
浅野健一さんの木曽檜を使った作品
面白い作品が多くありましたが、「Galerie Yukiko Kawase」に出展の奈良平宣子さんの紐を編んだ作品、「ときの忘れもの」に出展の光嶋裕介さんのシルクスクリーンの作品、「JILL D’ART GALLERY」に出展の松浦廣樹+中静志帆さんの沈金の作品、楚里勇己さんの銀箔を使った絵画の作品など魅力的でした。
奈良平宣子さんの作品
光嶋裕介さんの作品
松浦廣樹+中静志帆さんの作品
楚里勇己さんの作品