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2012年11月29日
昨日の毎日新聞の夕刊に、宮沢賢治の「政治家」という詩が紹介されていた。冷静に物事の本質を見抜かねばと思わざるを得ない。そして自分自身はどうなのだと考えてしまう。以下その詩を紹介する。
<政治家>
あっちもこっちも
ひとさわぎおこして
いっぱい呑みたいやつらばかりだ
羊歯の葉と雲
世界はそんなにつめたく暗い
けれどもまもなく
そういふやつらは
ひとりで腐って
ひとりで雨に流される
あとはしんとした青年の羊歯ばかり
そしてそれが人間の石炭紀であったと
どこかの透明な地質学者が記録するであらう
2012年11月28日
10時から本会議。私の出番は午前の最後。質問時間は34分(回答も含めて)。
質問項目は、
1.予算の編成について
(1)予算編成過程の公開
(2)予算編成方針
2.水道料金の一部を積み立てる水源基金の創設について
3.休養温泉ホーム松ヶ島の存続について
実は昨年は11月18日に公開された予算編成過程が今年は今に至っても公開されていない。理由は市長が去就をはっきりさせないからだ。公開が遅れると1か月の市民からの意見聴取も正月をまたぐ日程になる。そして作業は遅れることになる。その責任を追及しいつ公開するの問いただした。さすがに市長もこの点については反論しにくく、ばつが悪そうに速やかにやるとしか答えれなかった。結果としては議会終了後速やかに公開されそうだ。
予算編成方針は、来年4月に市長選があることがわかっているのだから市長の肝入りの新事業は削った「骨格予算」を組むべきではないかと質問。市長は「金の茶釜を溶かす話は止めています」と答弁し骨格予算にする方向性を示唆した。「準骨格予算」として編成されることになりそうである。
提案した水源基金とは、愛知中部水道企業団ですでに取り組まれている1トン1円で積み立てるという方法である。名古屋市の場合年間約2億8600万トンの水が給水されているので1トン1円を積み立てれば2億8600万円ということになる。名古屋市は木曽三川水源造成公社に参加し、その公社の仕組みは岐阜の森林組合にお金を貸し付けて水源を保全しようというのであるが、名古屋の水に恩恵を与えてくれる木曽川がある長野県は公社に参加していないので貸付対象外となっている。そこで水源基金を作って上流を支えてはどうかと提案をした。上下水道局長は「現状では困難」というがっかりの回答。そこで尾張名古屋共和国を提唱する市長に、尾張藩は木曽のヒノキを厳しく統制した代わりに米1万石を送っていたという史実を紹介し、名古屋市でも取り組むべきではと迫った。市長は、そんな金があれば市民に還元せよというかと思っていたら、「水道料金は総括原価方式なんですわ」とか言いながら、外国の例なども勉強させますんでと答弁し、検討には着手すると約束した。一定の前進である。私も「共に取り組みましょう」と答えた。
松ヶ島休養温泉ホームは、いわゆる名古屋版事業仕分けで、「廃止を含み見直し」と判定され、その後の社会福祉審議会で「設備の老朽化の状況などもあり、一定の期間を置いた上での施設の廃止はやむを得ないものと考える。」との報告が出され、今や最後の名古屋市の方針が示されるばかりの状況なのだ。しかし最後に市長に行っておかなければ気が済まないので質問したわけだ。この議論出発点で、総務局は「類似の施設がある」という論点を提示した。健康福祉局も議論の場でそのことを明確に否定しないものだから、議論に参加する人たちは頭の隅に「類似施設がある」ということが背景にありながら議論が進んで事ここに至っているのだ。古い設備で使いやすいとは言えないけれども、風呂にリフトで入れる施設、それも温泉で、それも安く利用できる類似施設ははっきり言ってこの近辺には私の知る限り存在しない。そのことだけは市長に直接言っておきたかった。市長はよく検討しますとしか回答はなかったけれど、将来的に市が管理しなくても若干の補助を出しながら機能を残す方向性が考えられないものかと切実に思う。
あまり知られていない休養温泉ホーム松ヶ島だが、とはいっても利用率や回転率は極めて高く、回転率などは98%(だったと思う)に達している。高齢社会が進む中で、さまざまな旅行プランが開発されれば必ず松ヶ島の出番があると思う。そんな思いで質問をした。
夜、名市大現代社会学部の学生インタビューを受ける。3人の学生が2012年の名古屋市議会の状況についてのインタビュー。河村たかしの前と後の違い、地域ニーズの集約や解決方法、地域委員会、議員定数、あるべき議員・議会の姿などの質問があった。何人かの議員にインタビューして年度内にまとめるそうである。少々大風呂敷のテーマ設定なので話はどんどん広がってしまったが、どんなまとめになるのか楽しみだ。
2012年11月27日
今回の議会で質問者としてのエントリーはすでに19日までに済んでいました。しかし質問の内容は河村市長の動向によって考えようと思っていたので昨日の不出馬宣言で急きょ内容を組み立てなおしの作業をすることになった。
午後からは議運理事会いったん理事会を中断して、議運、そして再び理事会と懸案事項の協議に時間がかかった。午後3時すすぎ理事会が終了して控室のある3階に戻ると減税日本ナゴヤの控室周辺が騒がしい。中で、なんと!河村たかし率いる政党の衆議院候補者の記者会見を、それも市長同席で控室の中で行っているというではないか。部屋の入口には顔写真を撮る体制までセットされている。いくらなんでも度が過ぎている。
理事会が終わったばかりであったが各会派の幹事長が招集されこの事態について協議の場が設定された。みんな遺憾の意を表明するのは当然だ。議員の控室として、会派の活動の場として市庁舎が提供されているのであって、政党活動のために場所が提供されているわけではない。民主党県連などの活動を控室で行うことはありえないし、そんな発想を持ったことはない。通常なら県連の事務所で行ったりホテルで会場を借りたりして場を確保するのである。今回の減税日本ナゴヤの行動はいくらなんでも節度がなさすぎる。
こんなことで控室に帰るともう4時半である。今日は夜事務所で「まことの仲間たち」の会議があり、そこに古川元久さんがあいさつに見える予定にしてあるのでとにかく事務所に戻らなければならない。いろんな書類は全部おいて事務所に戻り会議を行った。会議を早く切り上げて市役所に戻るを8時半近く。もう帰って原稿を作るしかないということで10時には帰ることにした。
本当に迷惑な話で質問前日の貴重な時間を費やすことになって憤慨至極!
2012年11月26日
朝、河村市長が衆議院選挙に出馬しないとの情報が入った。この間去就をはっきりさせないままズルズルときていたがやっと踏ん切りをつけたようだ。維新の会との連携もうまくいかず八方ふさがりとなるし、市長職投げ出し批判をおおいに気にしたということだろう。今日決めなければ様々な批判を受ける本会議を乗り切るのが難しいと判断したというところではないだろうか。
それにしてもである。あれだけ国政への意欲をあらわにして石原慎太郎氏の太陽の党や維新の会の橋下大阪市長などと連携を模索し、自分の去就を明らかにせず多くの人を巻き込んで大騒ぎしながら自分は出馬しない。この感覚が理解できない。河村氏はこういう人だという話はよく聞く。それにしてもだ。
このような政治家の在り方が政治不信を生み出す行動そのもではないだろうか、本当に!
2012年11月25日
ずっと更新していなかった「まことの日記」の再開です。書き込みがうまくできなくなっていました。今後、活動を少しずつご報告していきたいと思います。
今日はいい天気でした。午前中は名古屋市聴言者協会の手話フェスティバルの開会式に参加。アメリカのろう者マシュー・S・ムーアさんという方がゲストでした。私は時間がなくお話を伺うことはできませんでした。会場で「ろう者のトリセツ 聴者のトリセツ」というDVDを購入。見るのが楽しみだがしばらくは見れなさそうだ。
午後からは古川元久前衆議院議員の街頭演説に参加。場所は本山と今池。民主党に対して厳しい声もいただきます。そういった声を正面から受け止めてしっかりと政策を訴えていかなければならないのです。