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2010年02月09日
12時から団会議。議会改革につい議論。議論はこれからだが、市長が定数と報酬半減というボールを投げてきていることに対してどう対応するのかも考えなくてはならない。
私は現時点では、定数や報酬など議員自身に関することは議会が自ら提案すべきことで市長が提案する内容ではないと思っている。もちろんこれは二元代表制ということが大きく関係することだ。いま議会はやっとの事で自分たちの今までの取り組みを反省し「議会基本条例」を制定しようと取り組んでいる。もちろんこのような取り組みをせざるを得なくなったのは河村市長の発言や行動によってであることは間違いがないけれど、では市長のいう半分にするということも何か根拠があるわけではなく、切りのいい市民受けするわかりやすい言い方ということだと思う。
議員を少なくするのはチェック機能が低くなるし、何より多様な市民の意見を反映しにくくなる。まだ地域委員会は始まったばかりで市議会を半減してもいいというものになるかどうかすらもわからないのが現在の状況だ。75名の定員が適当なのかどうか私も正直よくわからない。現在市民約3万人に一人の割合で議員が各区に配分されている方法がいいのかどうか、民主党がいう地域主権というならば地方議員の役割はますます重要なものになるのではないかなど、もう少し落ち着いて多面的な議論をして結果を出したい。もちろん議員自身はもっと努力して市民の期待の応えることのできる存在になる必要があるのは間違いがない。
2010年02月08日
10時から委員会で請願審査。審査結果は以下の通り。
●中小企業零細業者救済のために、所得税法56条の廃止を求める意見書提出を求める件
→賛成多数で不採択(共産党は不採択に反対)
●市民税の10%減税を早期に実施することを求める件
→医療・福祉・教育の予算を削ることなくという文言があったため、削られているかどうかをこれから審議するので保留に。
●後期高齢者医療制度の廃止を求める国への意見書提出に関する件
→直ちに廃止という文言があり民主党も賛成できなかったので、採決の結果賛成多数で不採択に(共産党、社民党は不採択に反対)
●国民健康保険と高齢者医療の改善を求める件
第1項 誰もが払える保険料と意味が不明なので民主は不採択の意見
第2項 資格証明書、短期保険証の発行中止
第3項 減免の拡充
第4項 70歳以上の医療費負担をなくす
第5項 国への要望
第1項、第2項、第4項は不採択(共産党は不採択に反対)
第3項は保留、第5項は審査打ち切り(共産党は打ち切りに反対)
2010年02月07日
車で移動していたが、国道22号より北側にいたため、名岐駅伝に引っかかってしまい、40分ほど待たなければならなかった。道路にある標示をよく見ないといけない。
遅れて栄に行き、「有事法制反対ピースアクション」の区切り集会に参加。自衛隊のイラク派兵以降活動してきたが状況が一区切りしたということで活動を収束させることになったのだ。講演があり講師は武藤一羊さん。テーマは「9・11から日本はどう変わったか 日米同盟という問題」。次の用事があったので途中で退席する。
大阪で障害者労働研究会の会議。大きな議題は、内閣府にできた「障がい者制度改革推進本部」に対して意見をどう述べていくのかということ。今日得た情報では、推進本部の委員の人は明日の3時までに次回会議の資料提出をしないといけないというので、私たちの主張を委員に伝えようと思うと明日の朝にはメールで送るようにしないといけないというハードな状況ということがわかった。今までの議論をとにかく簡単にまとめてペーパーを作ることを確認してとんぼ返りで名古屋へ。
2010年02月06日
今日は風が強かった。あちこちで歩道の自転車が倒れていた。
本屋によってサッと店内を見回して帰ろうとした時、NHK教育テレビの「こだわり人物伝」のテキストが目にとまった。なんとフォークシンガーの高田渡が「孤高のフォークシンガー」として2月放送されるのだ。私はいろんな音楽を聴くが、60〜70年代フォークも大好きだ。その中でも高田渡は大好きだ。友人と吉祥寺にある高田渡行きつけの伊勢屋という飲み屋まで行ったことがある。友人は以前そこで高田渡に遭遇し、サインをしてもらったという。私が行った時は残念ながら遭遇することはなかったが、これがあの伊勢屋かと感慨に耽ったことを覚えている。既に第1回放送は終わっていたが再放送もあるので見逃さないようにチェックを入れた。3月は哲学者の森有正なのでそちらも見逃せない。
夕方からは、先日見に行ったファンデ・ナゴヤ美術展の企画でシンポジウムがあり、そこに美術や文芸の評論家、大御所(本人はこんな言われ方はいやかもしれない)針生一郎さんがやって来るというのでこれは聞いておかなくてはという少しミーハーな気持ちで出かけていった。
彼が登場するにはハプニングもあった。このシンポの企画が名古屋芸術大学主催ということだったためか、彼は名古屋駅から会場のカルポート東ではなく、北名古屋市の名古屋芸大に向かってしまったのだ。相当遅れて会場に到着するや彼はマイクを持ちかくしゃくと話し始めた。現在84歳だという。
彼の話は自分の戦争体験や戦後の欺瞞性を体験したことを、また日高六郎が提起した、日本は滅私奉公ではなく滅公奉私な社会だということについて語った。日高六郎といえば私が大学に入った頃、岩波文庫の「戦後思想を考える」を読んだことを思い出す。彼はまた、マスコミの定評を確かめるために美術館に行くような鑑賞眼はどうしようもないと厳しく批判し、一流のアバンギャルドに足場を置いて自分で考えることをしない、作品に惚れ込もうとしないから個人のレベルが上がらないのだ、と熱く語るのであった。そして近代的自我に基づく個性、オリジナリティ、美が破産した今、集団的、公共的基準を確立しなければならないとも語るのであった。また70年代の批判をモチーフにするよりも「創作」のモチーフでアプローチする方が社会変革につながるのではないかとも語り、今なお進み続ける針生一郎の姿を見た。そして彼が「戦後はまだ語り尽くされていない」と発言するのを聞けたのは非常に貴重な時間であった。
2010年02月05日
今日は予算案の説明が各会派の団長と幹事長、そして議運の委員に対して行われた。冒頭河村市長のあいさつ。用意された原稿を読み上げ終わり、最後に「議会側から議員報酬や議員定数の改革案がちっとも示されない。示してもらわんと。」「市長秘書を認めてもらわないと業務に支障を来す」といきなりの挑発モード。でも説明会は原則質疑応答なしの場なのでそのまま、財政局長からの予算案説明が粛々となされた。
一般会計は、減税しながらも6年ぶりの1兆円越え。160億円の減税の影響がどうなっているのか、市民サービスの低下はないのか、市債が208億円増えた中味はどうなっているのかなどしっかりチェックしていきたい。
一昨日の3日、包括外部監査の結果報告書が公表されたが、その中で「財団法人名古屋市民休暇村公社」(いわゆる御岳休暇村)についても報告がされた。監査結果は、「休暇村は、公的関与が可能である限り、存続させるべきである」というものだった。廃止とか民間譲渡とかの結果が出ずにとりあえず良かったというのが第一印象。市の職員に準じた給与体系を見直し、豊かな自然をうまく活用できるように人材確保も含めて運営を見直す必要があるというのが大まか内容だ。あとは名古屋市がどう判断するかという段階になる。名古屋市民、王滝村の人や木曽地域の人々の力を合わせよりよいアイデアを出し、民間への売却とか、運営譲渡というのではない形で運営が存続するようにしたい(といっても私に権限があるわけではないが)。
2010年02月04日
昼から名古屋市の老人クラブ連合会の大会に来賓として出席。60歳になると入会資格があり、現在名古屋市内に約10万人の会員がみえるといいます。以前なら60歳であれば定年で老人クラブということもあったのかもしれないが、今の社会状況の中では60歳はまだまだ若くて元気だし、第二の勤めもする人も多いので60歳で老人クラブに入会ということは考えにくい状況です。
河村市長もあいさつの中で、「ワシも61になり入会できるけどいざ入会しようとするとびびりますわ」と言ってまだ入会していないことを明かしていました。またよく言われるように価値観や生活スタイルが多様化している中で老人クラブが高齢者の活動を集約するということにもならないはずです。戦後直後に生まれた老人クラブという組織もそろそろ新しい皮袋を用意する時が来たのかもしれません。
地域委員会の立候補受付と投票登録者受付が今日閉め切られた。名古屋市全体では投票参加申込率は10.6%。千種区の田代学区では7.4%。また地域委員への立候補者数は、名古屋市全体の定員40名に対して66名の立候補。千種区の田代学区は立候補者数が最も多く6名定員の所に18名の立候補ということだ。
記者が地域委員会のことで取材に。私は拙速な取り組みが地域住民の内発的かつ多様な要望を提案する芽を摘んでしまったのではないか。まだボランティア議員という意識が浸透しているとはいえないのではないか、また立候補している人もそこまで意識していない人も多いのではないか、NPOの活動と地域委員会を無理につなげるのではなく、当面はそれを切り離しNPOはNPOとしてしっかり活動できるような枠組みを作っていくことが必要ではないかなどの意見を述べた。
2010年02月03日
一日事務所。片づけはいよいよ8合目。
2010年02月02日
今日は9時半から名古屋市議会基本条例制定研究会がありその傍聴。今日の議題は、予算等議会への説明、会議の運営規則、委員会活動、反問権を含む質疑応答、図書室の充実などであったが、議論は予算等の説明についてが大部分になった。
現在名古屋市の予算審議は各委員会で担当局ごとに行っているが、各局にまたがって議論をした方がいい案件もあるのでそのような場合別の議論の場を設けてもいいのではないか、予算編成前に市長を交えた議論の場があってもいいのではないか、大きな事業や財源などが必要な時には早く公開できる仕組みがあってもいいのではないか、市政に関する長期的な計画についても議会で議決をしてもいいのではないかなどの意見が出された。ただ、一括して提出される予算案の性質に縛られるのはある面やむを得ないのではないかという意見も出された。
これに対して有識者からは、予算編成途中でその内容を議論する会期をもうけてもいいのではないか、予算の意味を理解する意味でも議員同士の議論が必要でそれを市民に伝えるためにはそれなりの体制が必要ではないか、わかりやすい予算・決算というものが工夫できないかなどの意見が出された。
その他、図書室に来れば議会のあらゆること(例えば議案への賛否、政調費の使い道など)がわかるような場にしてはどうか、議長や委員長の許可を得た上で市長にも質問に関しての反問権を認める方が議員側にも緊張が生まれいいのではないか、委員会傍聴を何と確保する努力が必要ではないか、委員会の個人視察は検討するべきだ、特別委員会も目的が変われば躊躇なくやめることがあってもいい、議会基本条例研究会の中に分科会を設けて議論を進めたらどうか、などの意見が出された。
これらに対して有識者からは、長期的に名古屋をどうしていくかの議論をして欲しい、一問一答の一答の部分の時間を短くするなど一問一答のルールかがあってもいいのでは、傍聴者はできるだけ対応を、縦割りを越えて議論ができるのが議員であると思う、市民が意見を言う場を設けて欲しい、などの意見が出された。
また、海外視察についてどうするか各会派からの意見表明があった。民主は意義はあるが経済状況もあり自粛、自民と公明は予算を現在より少なくして4年に1回という特権的なものではなく必要に応じて実施する、共産は廃止、ということで意見がまとまらず理事会などで意見調整をすることに。
研究会後、立命館大学の駒林教授の講演があったが財政福祉委員会の正副委員長会があったので中座。正副委員長会では請願についての判断を議論。請願項目の中に、「直ちに後期高齢者医療制度を廃止しろ」という件と「誰もが払える国民健康保険料にしろ」という件について団に持ち帰り議論することにした。現在民主党でも後期高齢者医療廃止後の制度設計について議論をしているし、私としては直ちにといわれても対応はしにくいと思う。また、誰もが払えるということについてもどの程度なら誰もが払えるのか、所得との関係はどうするのか議論しなければならないことが多いと思う。
2010年02月01日
先月の28日に安藤俊子さんというひとり語りの語り部として活動されてきた方が亡くなったと連絡が入った。その人曰く、「大好きな男性たちに囲まれて亡くなったよ」と教えてくれた。79歳だった。
私が彼女と出会ったのは1990年の補欠選挙の時か1991年の統一地方選挙の時かのどちらかだった。場所ははっきりと覚えている。今池ユニー前だった。私が演説をしていると、「私も視覚障害があるの。選挙がんばってね」と言って声をかけていただいた。しかし同時に私の演説について、もっと通行人に聞いてもらうような話し方をしないといけないというようなことを言われた。なんか変な人だなというのが最初の印象だ。そして名刺をいただいた。そこには何々(具体名は記憶がない)ペンクラブと書いてあったので文章を書く人なんだということを思った。
その後どういう経過だったかは忘れたけれど、私の応援演説をしていただくことになった。場所はまた今池ユニー前だ。彼女は宣伝カーの上に上がり、よく通る声で話し始めた。「この斎藤まことは障害を持ちながら苦労してここまでやって来ました……」みたいな浪花節の入った語りであった。彼女の演説で振り返る人が多いのは確かであった。私自身は、自分は障害で苦労してきたというような言い方は決してしない人間なので安藤さんのお涙ちょうだい的演説には少し抵抗もあったのは事実。でもこのように応援してくれる人がひょんな出会いで生まれることの不思議さも実感していた。
その後途切れ途切れのつながりが続いた。最近ではちょうど一年ほど前に今池商店街の人たちが企画した「三匹の芸人」というイベントで久し振りにお会いし少しだけお話しをすることができた。病気で体の調子が悪いといってみえた。私が見に来てくれたことをすごく喜んでいただいたのを覚えている。
私の記憶の中では今池ユニー前で演説する安藤さんの姿が一番鮮烈なものとして残っていますよ。安藤俊子さん、応援演説ありがとうございました。やすらかにお眠りください。