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2010年02月06日

高田渡と針生一郎 二題

 今日は風が強かった。あちこちで歩道の自転車が倒れていた。

 本屋によってサッと店内を見回して帰ろうとした時、NHK教育テレビの「こだわり人物伝」のテキストが目にとまった。なんとフォークシンガーの高田渡が「孤高のフォークシンガー」として2月放送されるのだ。私はいろんな音楽を聴くが、60〜70年代フォークも大好きだ。その中でも高田渡は大好きだ。友人と吉祥寺にある高田渡行きつけの伊勢屋という飲み屋まで行ったことがある。友人は以前そこで高田渡に遭遇し、サインをしてもらったという。私が行った時は残念ながら遭遇することはなかったが、これがあの伊勢屋かと感慨に耽ったことを覚えている。既に第1回放送は終わっていたが再放送もあるので見逃さないようにチェックを入れた。3月は哲学者の森有正なのでそちらも見逃せない。

 夕方からは、先日見に行ったファンデ・ナゴヤ美術展の企画でシンポジウムがあり、そこに美術や文芸の評論家、大御所(本人はこんな言われ方はいやかもしれない)針生一郎さんがやって来るというのでこれは聞いておかなくてはという少しミーハーな気持ちで出かけていった。

 彼が登場するにはハプニングもあった。このシンポの企画が名古屋芸術大学主催ということだったためか、彼は名古屋駅から会場のカルポート東ではなく、北名古屋市の名古屋芸大に向かってしまったのだ。相当遅れて会場に到着するや彼はマイクを持ちかくしゃくと話し始めた。現在84歳だという。

 彼の話は自分の戦争体験や戦後の欺瞞性を体験したことを、また日高六郎が提起した、日本は滅私奉公ではなく滅公奉私な社会だということについて語った。日高六郎といえば私が大学に入った頃、岩波文庫の「戦後思想を考える」を読んだことを思い出す。彼はまた、マスコミの定評を確かめるために美術館に行くような鑑賞眼はどうしようもないと厳しく批判し、一流のアバンギャルドに足場を置いて自分で考えることをしない、作品に惚れ込もうとしないから個人のレベルが上がらないのだ、と熱く語るのであった。そして近代的自我に基づく個性、オリジナリティ、美が破産した今、集団的、公共的基準を確立しなければならないとも語るのであった。また70年代の批判をモチーフにするよりも「創作」のモチーフでアプローチする方が社会変革につながるのではないかとも語り、今なお進み続ける針生一郎の姿を見た。そして彼が「戦後はまだ語り尽くされていない」と発言するのを聞けたのは非常に貴重な時間であった。

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シンポジウムにも来てくださっていたのですね。ありがとうございました。バタバタしていたので、ご挨拶もできませんでした。日本では美術は単なる飾りや贅沢品だと思われているようですが、本当は人の心を内面から支える役割を持っているのだと思います。今のような困難な時代にこそアートが必要なのだと思っています。まだまだ非力ですが自分のできることを精一杯やっていこうと思っています。

投稿者 水谷イズル : 2010年03月13日 02:52



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