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2013年08月08日

東山植物園のベンチチェック&桜通りカフェ

 午前中は愛知県後期高齢者医療広域連合議会の議案説明会。今期私は広域連合議会の副議長という重責を担わさせていただくことになった。今回の定例会に提出される議案は、条例改正案と補正予算案、決算認定案、そして請願である。定例会は22日に開催される。

 午後は、みん・みんの会の活動でつくった水源の里基金の具体的活動として、木曽青峰高校の生徒が間伐材でベンチを作ってくれ、2011年2月に東山植物園に寄附していただいた。そのベンチの現状を確認するためにみん・みんの会の事務局長と共に植物園を訪れ現況を確認してきた。植物会館内外に4脚、温室に6脚、星が丘門に1脚設置してある。温室内のベンチの脚の部分にひび割れがあったものの現状では問題なさそうであった。植物園の温室は重要文化財であるが、現在補修工事の準備に入っていた。シンボル的な背の高いサボテンのところにベンチが3脚設置されているが、サボテン2本のうち1本が昨年枯れてしまったとのこと。もう一本も元気がなさそうな様子に見えた。ベンチに座って記念写真を撮ってください。この様子を作成してくれた元高校生に伝えることができればと考えている。
20130808benchi1.jpg植物会館内
20130808benchi2.jpg植物会館外
20130808benchi3.jpgサボテン前
20130808benchi4.jpg星ケ丘門入口

 また植物会館の裏手にハニーファームという団体が取り組んでいるミツバチの巣箱が置いてある。2段のものが8箱あった。植物園で蜂蜜を取り、「東山ハニー」として店舗で販売したりレストランなどで使用しているそうだ。巣箱を見ていたら偶然にスタッフと遭遇。少しだけ活動の様子を伺った。
20130808honey.jpg

 それにしても植物園の維持管理費は相当削減されているのだろう、雑草などがよく伸びていて、手入れができていない雰囲気をすごく醸し出している。やはりこれは減税の弊害が表れていると思わざるを得ない。動物園と共に植物園も多くの人にとって魅力的な施設にする必要があるのは言うまでもない。こんなことでは職員のモチベーションにも悪影響を及ぼしかねない感じだ。

 夕方名駅方面に行ったので、以前から寄ってみたいと思っていた「桜通りカフェ」に立ち寄る。ここは三重県のアンテナショップ的な要素を持つ場所で、三重交通が運営するスペース。三重県産の食材を使った食事を提供するカフェや三重県の物産品の販売、観光に関する情報提供が行われている。伊勢サイダー、かつおの生節、特別バージョンのおにぎりせんべいなどを購入。ガランとした感じでもっと人が入ればと思う。ただ三重県は通勤で通う県内なのでわざわざ立ち寄ろうというモチベーションが高まりにくいとも思う。5月に東京・銀座に行った時に見てきたが、地方のアンテナショップがどんどん出来ていて、どの店も訪れる人も多い。それと比べても意味がないがもう少しここの場所の存在を知ってもらえるといいと思う三重県生まれの私であった。

投稿者 saito : 03:05 | コメント (0)

2013年08月07日

木曽川流域について話をする

 今日河合塾コスモコースという高校中途退学者や通信高校生を対象とするコースで木曽川の水をめぐることについて、また私の取り組んでいる木曽川の上下流交流について話をする機会があった。スタッフの人が私も参加して活動している「水源の里を守ろう 木曽川流域みん・みんの会」が作成した「木曽川流域図」に着目してくれ声がかかった。8月下旬に生徒たちが木曽ツアーを行うのでその事前の学習会だ。水をめぐる状況や上下流交流の具体的な活動について話をさせていただいた。自分たちの飲む水について少しでも関心を持ってほしいし、話を聞いて若い人が上下流交流の取り組みに関心を持ち、何か具体的な活動に参加してくれればうれしいのだが。


20120121chizu1.jpg地図の表紙

20120121chizu2.jpg地図の全体

投稿者 saito : 02:58 | コメント (0)

2013年08月06日

映画「ひろしま」上映会

 午前中、引きこもりの若者や家族を支援する団体の方の相談を受けた。名古屋市では精神保健福祉センターで「名古屋市ひきこもり地域支援センター」の取り組みがされているのだが、個々の人たちへの継続的な支援という面でいうとまだまだ課題が多いとのことだった。名古屋市では子ども青少年局においてもニート・引きこもりの若者に対する施策を実施している。組織横断的な施策展開や精神保健との役割分担、また民間団体との連携など考える課題が多いように思う。

 午後、千種区の児童委員・民生委員の大会があったので式典に参加。今年は名古屋市の制度開始90周年だそうでその記念大会でもあった。

 夜、広島に原爆投下された8月6日の夜、映画「ひろしま」の上映会が公会堂で行われた。多くの人の関心を呼んだのだと思う、1000人以上の人が参加されていたようだ。いまから60年前、日教組などが中心となり全国でカンパを集めて製作した映画だ。当時配給会社が上映を中止にしたり、アメリカで映画に対する批判があったりした、いわゆる曰くつきの映画である。上映実行委員長は衆議の近藤昭一議員。そしてこの映画の助監督として参加した小林太平さんの息子さんで、現在上映活動を進めてみえる小林一平さんとのトークが行われた。近藤議員は、日本が核拡散条約に署名しないことの問題を、小林さんは今こそこの映画を日本人が見なければならないと熱く語られた後上映が始まった。私は会議がありどうしても途中で退出しなければならなかったのが残念だった。
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トークする近藤議員と小林一平さん

投稿者 saito : 02:46 | コメント (0)

2013年08月04日

豊田市美術館で大満足の一日

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 豊田市美術館で開催中のフランシス・ベーコン展に行ってきた。見逃さず良かったと本当に思った。ベーコンの絵は少しだけ雑誌などで見たことがあり、その「変さ」が気になっていた。直接その絵を見ていると、ベーコンは正確にかつ永遠に流れる時間に抗っているのかもしれないと思った。正確に流れる時間は肉体の不自由さをあからさまにするのだ。その不自由さに抗っているのだ。時間軸を自由に取れば、歪んだ顔は不思議ではない。重力からも自由になる。物体が動いた残像も消えずに残すことができる。同時に数々の作品は、時間軸を自由にとることは簡単ではないことも暗示しているようだ。自由な次元に到達するにはドアを開く必要があり、窓を開ける必要があるのだ。こんなことを考えながら最後にフォーサイスのダンス?映像のインスタレーションがあったが、こんな言い方は偉そうだけれど、その作品が秀逸なのだ。展示の演出としても楽しめた。様々な刺激を与えてくれるベーコンの作品群だった。

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 事前にあまり情報を仕入れずに行っているので、同時に豊田市美術館の新収蔵品を中心にした「4つのテーマ展」も行われていた。これもまたいいのだ。ヤノベケンジさんのラディエーションスーツ・アトム、草間彌生さんのチェア、エゴン・シーレ(実は私はシーレが好きなのだ)の作品、棟方志功の作品などどれも刺激的だ。

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 これで相当満足していたのに、併設されている高橋節郎館に入りその作品にまたびっくり。漆を使った多種多様な作品が展示されているのだがその表現がすごくいい。

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 美術館の建物、庭も気持ちを広々させる感じでこれも満足。一日で本当に腹いっぱいになった。また訪ねたいと思う美術館だ。そしてこのベーコン展は見逃せない。

投稿者 saito : 04:04 | コメント (0)

2013年08月03日

名古屋子ども議会開催される

午後、陸前高田市の小学生も参加して名古屋子ども議会が昨年に続いて開催された。
20130803kodomogikai.jpg

夜は地域の盆踊りにご挨拶に伺う。
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投稿者 saito : 05:21 | コメント (0)

2013年08月02日

盆踊り真っ盛り!!

 あちこちで盆踊りが行われている。ご挨拶に伺わさていただくことも多い。準備をされる学区や町内会、消防団の方々は大変なご苦労である。でも子どもたちが夜店で楽しんでいたり、多くの方が盆踊りを楽しんでいる姿を見るとその苦労が報われているのではないかと思う。

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投稿者 saito : 05:18 | コメント (0)

2013年08月01日

入部香代子さん、やすらかに!

 日記を再開する気になった。毎日の忙しさにかまけていてはダメだと改めて思ったというわけです。できるだけ続くように努力します。

 7月24日、元豊中市議の入部香代子(いるべかよこ)さんが亡くなった。体調がすぐれず入院したと聞きお見舞いの日程を入れたところでの訃報なので非常に驚き、悲しさがいっぱいだ。62歳という年齢なので余計に残念だ。

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 1991年4月に市会議員となり4期16年間議員として活動した。私が事務局長を務める「障害者の政治参加をすすめるネットワーク」の代表でもあった。私が最初の補欠選挙で当選したのが1990年6月で、その直後の91年4月の統一選で私は落選し、彼女は当選し以後4期務めたというわけだ。その当時国会議員には八代英太さんなどがおり、地方議員にも車いすの議員や視覚障害者の議員が活動されていた。私は政令指定都市で初めての車いす議員となったが、入部さんはそれまでの障害者議員とはまったく違う存在として登場した。彼女は24時間介助が必要な存在であったということだ。私は自分でも車を運転するなど相当なことを自分一人で行えるが、彼女は日常生活のすべてにおいて介助者の助けが必要だった。おそらくそのような人が議員になったのは日本では初めてだと思う。世界でもほとんどいないのではないかと思うくらいだ。立候補をする勇気に、そして彼女の思いに私も大きく励まされた。彼女の存在がその後人工呼吸器をつけた議員が誕生したというようなことにもつながったのではないかと思っている。

 70年代から障害者運動の中で介護問題、統合教育問題などで活動され、80年代に入ると障害ある人もない人も共に働く「えーぜっとの会」を牽引し、共働事業所運動などでは一緒に活動した仲間でもあった。今年に入り70年代障害者運動で活躍した人の訃報が相次いでいる。障害者運動が力強く社会に声を上げていくには、入部さんも含め先人の思いや取り組みを今の時代にどう引き継げるのかが欠かせない大切な課題だ。また障害者の政治参加の意味を改めて明確にしていかなければならないと思わずにはいられない。

 入部さんやすらかに、そしてありがとうございました!

投稿者 saito : 04:12 | コメント (0)



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