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2013年08月01日
日記を再開する気になった。毎日の忙しさにかまけていてはダメだと改めて思ったというわけです。できるだけ続くように努力します。
7月24日、元豊中市議の入部香代子(いるべかよこ)さんが亡くなった。体調がすぐれず入院したと聞きお見舞いの日程を入れたところでの訃報なので非常に驚き、悲しさがいっぱいだ。62歳という年齢なので余計に残念だ。
1991年4月に市会議員となり4期16年間議員として活動した。私が事務局長を務める「障害者の政治参加をすすめるネットワーク」の代表でもあった。私が最初の補欠選挙で当選したのが1990年6月で、その直後の91年4月の統一選で私は落選し、彼女は当選し以後4期務めたというわけだ。その当時国会議員には八代英太さんなどがおり、地方議員にも車いすの議員や視覚障害者の議員が活動されていた。私は政令指定都市で初めての車いす議員となったが、入部さんはそれまでの障害者議員とはまったく違う存在として登場した。彼女は24時間介助が必要な存在であったということだ。私は自分でも車を運転するなど相当なことを自分一人で行えるが、彼女は日常生活のすべてにおいて介助者の助けが必要だった。おそらくそのような人が議員になったのは日本では初めてだと思う。世界でもほとんどいないのではないかと思うくらいだ。立候補をする勇気に、そして彼女の思いに私も大きく励まされた。彼女の存在がその後人工呼吸器をつけた議員が誕生したというようなことにもつながったのではないかと思っている。
70年代から障害者運動の中で介護問題、統合教育問題などで活動され、80年代に入ると障害ある人もない人も共に働く「えーぜっとの会」を牽引し、共働事業所運動などでは一緒に活動した仲間でもあった。今年に入り70年代障害者運動で活躍した人の訃報が相次いでいる。障害者運動が力強く社会に声を上げていくには、入部さんも含め先人の思いや取り組みを今の時代にどう引き継げるのかが欠かせない大切な課題だ。また障害者の政治参加の意味を改めて明確にしていかなければならないと思わずにはいられない。
入部さんやすらかに、そしてありがとうございました!
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