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2014年11月13日

「民間戦災傷害者の碑」除幕式がありました

 今日、千種公園に設置された「民間戦災傷害者の碑」の除幕式がありました。99歳になる杉山千佐子さん(全国戦災傷害者連絡会会長)も寒い風が吹く中出席され、「今まで取り組んできた取り組みがほめられてうれしい。援護法制定まで頑張る。」とあいさつされました。また河村市長も杉山さんたちの努力をたたえ、平和な社会を求めていく必要があるとあいさつされました。来年は戦後70年です。

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来賓として参加しました

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インタビューに答える杉山さん

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千種公園の南側に設置されました

碑に刻まれた文章は次の通りです。

痛みを共有し、継承を

 第二次世界大戦中、戦闘機のゼロ戦を生産するなど大軍需敏だった名古屋市は、六十回以上の米軍の空襲を受け、街は焼き尽くされ、市民約八千人が死亡、それに劣らない数の人々が重軽傷を負った。
 死傷した民間人も国が援護すべきという運動は、昭和四十七年、全国戦災傷害者連絡会(杉山千佐子会長)により、ここ名古屋から始まった。一方、名古屋市は平成二十二年に「民間戦災傷害者援護見舞金」制度を設け、独自の援護を開始した。
 大戦が終わって七十年が過ぎようとしている。壊滅した名古屋の街は市民のたゆまぬ努力によって復興、目覚ましい発展を遂げ、今日では、日本を代表する大都市となった。
 しかし、世界ではいまだ争いが絶えず、参加が繰り返されている。
 名古屋市は、市民が再び戦渦に巻き込まれることがないように願うとともに、空襲で体と心に癒えない傷を負った方々の長年の苦難に思いを寄せ、その痛みの記憶をここに刻む。
 平成二十六年十一月 名古屋市

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