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2014年02月24日
今日、あることで知人の障害者の方がウイークリーマンションを借りてみてはどうかという話が持ち上がり、私が代わりに電話をしました。その方が関係する障害者団体の名前も出しながらすぐにでも入居できないだろうかと話をし、折り返しの電話を待っていると、電話がかかってきました。「あの〜、その方は、その〜、障害者を支援する団体の関係者なのですね。その方は〜」と歯切れが悪い。ピンと来たので、私から「その人が障害者かどうかということですか」と切り出した。向こうも、そのことを自ら切り出すのは分が悪いと理解しているのだろう。
すると電話の主は「失礼ですけれどもそのような方でしょうかと」。私は「そりゃ失礼だね。障害者差別解消法が成立しているのに」というと、その電話の主は、「そのような場合、社内で検討する時間が必要なのですぐに入居することはできない」という。「そりゃおかしい」とさらに言うと、「他の方が安心して入居できることが必要だから」とおっしゃる。
ここで私は怒りのスイッチが入ってしまう。「障害者がいると他の者が安心できない」というわけである。障害者をどんな存在と見ているのだろうか。確かに中には時おり大きな声を上げる人がいるかもしれない、壁を叩く人がいるかもしれない。そんなことが許容されないなら、障害者は世間から隔絶された施設の中に、または職員に囲まれた場所にいなさいということになってしまう。地域の中で共に生きるなんてことは決して実現しない。衣食住という基本的な部分で排除されてしまう障害者の存在を改めて噛み締める出来事だった。
障害者差別解消法の趣旨をどう具体化していくのか、このような事例を一つひとつ乗り越えないと先は開けていかないのは確かのことです。それはそれでやっていかなければと思う半面、いつまでもこんなことを言い続けないといけない社会なのかと思うとやはり気は重い。
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