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2014年01月18日
公演チラシより
劇団pH7の30周年記念公演をちくさ座に観に行った。「火の昔、ハレの日 幻色闘鱗記」(演出:菱田一雄)と題された舞台は、「ハレの日」(美尾りりこ作)、「活弁清次外伝・闘鱗記」(北野和恵作)、「火の昔」(喜田啓司作)の3つの作品が連続して演じられる作品。今のうちに覚えていることを書き留めておこう。
「ハレの日」ではガンダム、エヴァンゲリオン、鉄人28号を題材にいつも子どもが闘うのはなぜなのかと問う。そしてヒーローが闘う時、あんなこと実際だったらみんな死んじゃうよってウルトラマンと怪獣が闘っている時私はよく思っていたが、その視点が取り込まれ、正義の闘いは常に多くの人の命を巻き込んでいるのではないか、その正義はもしかしたら何者かを排除したいといういらだちの裏返しではないか、といったことが問われていると勝手に想像したりしていた。
「闘鱗記」に登場する女たちは人魚として客の前で芸を見せつつ春を鬻(ひさ)いでいるようだ。清次は活弁士だった技術をもってその劇場で舞台を盛り上げる仕事をしている。
人魚の中のある一人の女は清次に恋をしている。活弁士の清次の声を聴いて恋をしたのだ。清次はその女が自分の活弁をよく聞いていた女であることに思い当たる。しかしその女は自分の置かれた状況に苦しみ舌を噛み切って死んでしまう。そしてその女は目が見えない人であったことを知り愕然とした清次は噛み切った舌を飲み込むのだった。人を愛することは一筋縄ではないことを感じさせてくれる。時代状況は日中戦争の最中のことのようだ。
「火の昔」は八百屋お七の付け火が題材になっている。時間を行き来できるツアーは客を様々な時代の「火」を見せに連れて行く。関東大震災の火であり、八百屋お七の火でありといった具合にだ。しかし時間を自由に行き来できるのではなく、ピッタリ一年後といった具合に出発時点との関係で制限がある。そして舞台は八百屋七の物語を全員で物語る中でフィナーレを迎える。この火が福島の原子炉の火かもしれないと勝手に想像するのは想像が逞しすぎかもしれない。
3つの作品には時間とともに忘れてしまうことへの抵抗と忘れてしまうことの悲しさが描かれていた。そのことについては全く共感するけれど芝居の中ではその視点が少し拡散してしまった気がした。多くの役者さんが登場し場面場面は面白く演出されて楽しめるのではあるけれど、あまりにも多くの要素が散りばめられた芝居で、その要素が消化不良になってしまった感が強かった。チラシには「アングラの香り漂う濃密で官能的な舞台を!」と書いてあった。中原中也の「サーカス」のようなブランコがもっと活躍するとアングラさが増したのにと思ったりもした。激しい動きで呼吸が乱れながら台詞を言うのはアングラっぽかった。ラストにみんなで大きな声でセリフを言う感じはアングラの香りはした。あれこれいっても2時間はあっという間で楽しい舞台であったことは確かでした。
pH7がさらに歩みを続けられることを祈念します。
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