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2012年02月04日

劇団態変 「ゴドーを待ちながら」

 劇団態変の福森慶之介さん一世一代の舞台があるというので大阪・伊丹のAI・HALLへ。昨年肺に腫瘍が見つかり体調不良の福森さんは現在74歳。もう舞台に立つのは最後かもしれないという覚悟を持っての舞台だから一世一代なのだ。題材はベケットの「ゴドーを待ちながら」。会場は200名を超える人。劇団態変は障害者が自らその異形としての身体をさらけ出すことを通じて表現活動を行い強いメッセージを発信している劇団です。主宰は金満里さんで今回も翻案・演出をされています。
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 福森さんはエストラゴン役です。舞台の冒頭エストラゴンとウラジミールが「もう帰ろうよ〜」の名台詞で有名な松鶴千代若・千代菊ばり漫才風のやりとりで始まるつかみは関西のノリなのか。不条理劇と呼ばれる「ゴドーを待ちながら」を前にした観客の緊張を一気に和らげた。この出だしで私の気持ちがぐっと掴まれた。ラッキーという従者は両手に荷物を持たされ、首に縄をかけられ、ご主人?ボッツォが乗る車も引かされている。ボッツォは手に鞭を持ち、その鞭を鳴らすことで従者ラッキーを動かすという場面があります。別の場面では、足の悪いエストラゴンは靴がなかなか脱げないで難渋していて、そこにウラジミールが靴を脱がすのを手伝おうとして二人が転げる(会場から笑いも起きる)という場面があります。

 この二つの場面から、私は勝手な解釈をしました。そしてそこから非常に重要なメッセージを受け取った(と勝手に思った)。障害者の介助をめぐって考えていることが劇中に現れたのだ。2003年の支援費制度以降、確かに障害者の介助保障は進み、24時間介助を受けながら自立生活する人が飛躍的に増えました。これはもちろん良いことなのです。しかし、介助を受ける側とする側との関係が少しずつ変わってきたとも実感しています。つまり障害者はサービス利用者、介助者はサービス提供者という関係になってきているということです。それまでの障害者運動の中では介助を確保すること自体が運動でした。それゆえにお互いの関係性をいろいろと問うてきました。しかし様変わりしました。極端な言い方をすれば介助料と契約という関係で介助者は言われたことをやればいいと割り切ってしまうということです。その方が後腐れなく良いという人もいるのかもしれませんが、私は割り切れません。ボッツォとラッキーの鞭というコミュニケーションでのつながりは、割り切った関係を象徴しているようでした。一方、エストラゴンとウラジミールのやり取りは、お互いにどうしようもなさを抱えながら助け合い補い合うコミュニケーションをとっているように思えました。そのコミュニケーションの違いの結果が、二度目にボッツォとラッキーが登場した時、倒れたボッツォを助けたのは従者のラッキーではなく、エストラゴンとウラジミールだったということにつながっているのだと思えたのです。また、エストラゴンが首をくくろうとするがうまくいかないというところも福森さんの静かな動きが雰囲気を出し、一世一代をより深いものにしたように思います。

 そして今回の舞台にはもう一つの緊急事態が訴えられていました。今まで劇団態変は大阪市の小規模作業所の補助金をもらいながら運営されてきましたが、今年の4月で自立支援法体制への完全移行が求められることになっています。その中で補助金をもらうためにはNPO法人を取得するなど法人格が必要になってくるのですが、態変はその道を選択しない決断をしたのです。運営資金を自主的に集めようというのです。公演前にお会いした金満里さんは、「みんなNPOとかいうんだけど、そういうことではなく、いろんな人に支えてもらう新たな広がりを求めたい」と話されていたことが印象的でした。

 舞台を終えて福森さんは毛布にくるまれ車いすに乗られていました。その姿を見て、舞台の上で元気に動いていたのは相当なことだったのだなと思いました。今回の舞台はぜひ障害者が見るべきだと思う内容でした。福森さん、一世一代の舞台素晴らしかったです。
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