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2010年07月19日

わかりやすいはわかりにくい?

 鷲田清一著の「わかりやすいはわかりにくい?」を読んだ。共感する「問い」が随所に示されていて興味深く読んだ。その中の一文を少し紹介する。

 「ためらいもなければ、含みも曲折もない、そんな単純な物言いが溢れている。思考を停止したまま、不満や不安の強度を単純に高めるだけの、そんな粗雑な物言いが。ワン・フレーズのイメージ語、それがひとびとの意識を攫(さら)ってゆく。それは、ワン・フレーズで言い切られるものであるがゆえに、屈折もなければ、否定による媒介もない。」

 「単純に強度を加えるだけというところに、細部のニュアンスや複雑なコンテクストへの配慮をあえてしないところに、何か深い苛立ちを、あるいは暴力性の澱(おり)を、つい感じてしまう。」(p178〜p179)

 「わたしたちがとるべきでないのは、周囲(つまりはマジョリティ)の意向を斟酌し合うというかたちでたがいに同調を強いる、そういう行動である。それよりむしろ、自分と他人とがすぐには同調できないという事実、同調できないひとたちがあちこちにいるという事実から出発して、それらをどう摺り合わせてゆくのかという智恵と対話の技量が、何よりも求められるものである。そういうおのれの瘡蓋(かさぶた)をめくるような痛い経験をくり返すなかでしか、本当の意味での《民主主義》の社会などというものは生まれようがない。」(p186)

 政治に関わるものとして、自らに言い聞かせないといけない指摘であると思う。そしていまの名古屋市政のある一面を的確に指摘しているのではないだろうか。

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