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2010年04月01日

無縁社会を考える

 午前中、港区で新しい場所を確保して3つの団体が合同で障害者のデイサービスの活動を始める「障害者デイサービス愛美の会」の開所式に参加させていただいた。新しく明るい場所で、今までの場所を知っている私もビックリでした。今の自己決定・自己選択が迫られる能力主義に基づく競争社会は多くの矛盾を生み出しているのではないかと思います。多くの人に支えられて「生」をまっとうする障害ある人たち、そしてそれを支える人たちの生き様や、関係性は必ずこの社会の矛盾を解決する糸口を示してくれると、理論的に述べることはなかなかしにくいのですが、妙な確信を持っているのです。ぜひ彼らの活動が社会への提案につながっていくことを期待します。

 本屋で週刊ダイヤモンド4月3日号の特集タイトルが目につき購入しました。特集のテーマは「無縁社会 おひとりさまの行く末」というものです。この「無縁社会」、NHKがスペシャル番組やニュースのコーナーなどで問題提起したもので、私も何回か見ました。非常にショッキングだったのと、「無縁社会」というネーミングが印象的でした。孤立死や行旅死亡人(いわゆる行き倒れ)など誰にも看取られずになくなっていく人が年間3万2000人もいるということが明らかにされたのでした。無縁とは血縁、地縁、社縁(会社を通じた関係)などが機能しなくなった事をいうのだと番組の制作者の対談が教えてくれます。一方、上野千鶴子さんが主張している「おひとりさま」についてもインタビュー記事が載っています。上野さんは「在宅ひとり死」を望むというわけだ。私はこの上野さんの判断に違和感を覚える。「おひとりさま」は弱者だというのですが、私からすれば、上野さんの想定する「おひとりさま」はいろんな事を判断できる強者のような気がしてなりません。

 この議論は非常に奥深いものがあると思いますが、いずれにしても、いまや血縁、地縁などに頼った社会のあり方を構想するのは非常に難しいと思っています。先ほど述べた障害者のデイサービスの活動をする人たち、もっと一般化すれば知的障害を持つ人たちと共に地域の中で生きるという立場から考えた時には「おひとりさま」として存在していられないということになるのではないかということです。ちょっと話がくどくなりました。でも、新たな「縁」をどう創り出すのか、具体的な実践の中から示していくしかありません。

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