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2014年04月16日

インクルーシブ教育への高い壁

 長野県の特別支援学校に入学した障害児が、(おそらく)交流教育で特別支援学校の近くにある小学校にも通うことになり、その学校の入学式の集合写真を撮影するに際して、障害児と一緒のものと障害児を外したもの2種類を撮影し、校長が母親に謝罪したということが報道されました。(12日朝日デジタル、14日毎日新聞)

 記事からしか状況はわかりませんが、2種類の撮影をするか障害児は撮影の加わらないかどっちにするかと校長は母親に問い、母親が悩んだ末に2種類の撮影を選んだということです。校長は「他の保護者からなぜ一緒に写すのか」と言われた時の対応策にもなるので2種類の撮影を提案したとのこと。母親は悩み友人に打ち明け、その友人が新聞に投稿したことにより問題が明らかになったという経過です。

 校長の対応はある面「配慮」したといえますが、誰に対する配慮だったのかを考えなければなりません。一方、校長は何か問題が起きたときに責任を逃れることができるように準備したともいえます。世の中にはいろんな人がいるということを学んでいく場が学校であるということをみんなが了解していかないと、特に校長をはじめとする学校現場の人がそのことを肝に据えてもらわないとつねに排除の論理が生じるばかりです。

 また、記事によれば母親のコメントが二つ紹介されています。一つは撮影に関して、「他の子どもたちに『あの子は自分たちとやっぱり違う』と思われてしまいかねず、とても悲しかった」と、もう一つは「今は、私たちを他の児童を同じように受け入れてくれているので感謝している」というものです。ここにも現実のつらさが現れています。母親は「受け入れてもらっていて感謝する」と言わなければならないプレッシャーがあると思います。他の親からの視線をひしひしと感じていると思います。しかし本音では障害児が特別扱いされることにすごく悩んでいるのです。

 今回の場合は、特別支援学校の児童が部分的に交流するというだけでこのような事態になってしまいました。誰もがみんなと一緒のクラスで学ぶインクルーシブな教育の実現には本当に分厚くて高い壁があるのだと感じざるを得ない出来事でした。

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