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2014年02月19日
今日2月定例会が開会。2月定例会開会日には名古屋フィルハーモニーのミニコンサートが行われるのが恒例となっている。今年も2.8倍の倍率から選ばれた市民約330人が一緒に演奏を聴いた。
今年のプログラムは
〇グリーグ 組曲「ホルベアの時代から」作品40 第1曲前奏曲
〇エルガー 弦楽セレナードホ短調作品20 第2楽章ラルゲット
〇チャイコフスキー 弦楽セレナードハ長調作品48 第1楽章
アンコールに
○グリーグ 「ホルベアの時代から」プレリュード
指揮者は、昨年名フィルの常任指揮者に就任したマーティン・ブラビンスさん。私好みの選曲で素晴らしいひと時を過ごすことができた。チャイコフスキーのセレナードは、2003年に小林研一郎さんが指揮した時にも演奏された。小林さんのセレナードは低音を強く響かせる重厚でドラマティックな演奏だった記憶がある。それに比べてブラビンスさんの演奏は柔らかくロマンティックな感じだった。目の前で聞いているので指揮者の息遣いや弓が発する「雑音」までよく聞こえ、CDでは味わえない生の素晴らしさを体感した。
市長は、予算審議の前に予算を支出する名フィルの演奏を行うのは「便宜供与」にあたるとの理由で昨年に引き続き欠席。これが便宜供与にあたるという市長の感性が理解できない。へ理屈である。市民のために様々な企画を行っている名フィルに失礼ではないだろうか。名フィルが名古屋市民の宝物になるように市民みんなで支えていくことが重要だ。面白いナゴヤを実現したいという市長。であるならば文化の発信力を高めることは必須のこと。名フィルもその発信力の中に位置づけないといけないはずだ。
名フィルの演奏の後定例会が開会し、まず市長の提案理由説明が行われたその冒頭で市長は「今我らが愛するナゴヤは重大な曲がり角にあると言っても良いと考えております。すさまじいまでの東京一極集中の中で、単に東京の大きな衛星都市になってしまうのか、世界の人々をひきつけてやまない、魅力あふれる世界に冠たる都市となるのかの曲がり角でございます。」と述べていることに市長の今の時代観、名古屋観が現れている。
私はやはり少子高齢社会にどう立ち向かうのか、一人暮らしの人がどんどん増加していることにどう立ち向かうのか、名古屋市周辺自治体から流入する高齢者の存在をどう受け止めるのかなど、曲がり角に確かに来ているが私の考える曲がり角とは場所が違うようだ。
次に市長は、学校と協力する様々な分野の専門家と協力して「なごや子ども応援委員会」をについて話をすすめた。この施策の評価はまた別に述べたいが、市長が「未来を担う子ども達が健やかに育ち、‘`学ぶ,,“働く,,“生きる',力を身につけて、高校や大学などへの「進路」にとどまらず、自分は将来どうなりたいのか、その目指すべき路「針路」を見出して立派になっていってほしいというのが齢65歳を過ぎた私の願い」という部分は私も同意する。やはり人間大切なのは、どう生きるのかという問題なのだからだ。
ただ全般的に目新しいものはなく、おとなしい感じ、メリハリのない感じの提案理由説明であった。30日間の定例会でしっかりと議論していきたい。
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