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2015年07月19日
今日は病院のお見舞いを3件ハシゴしました。話になるのは次の行先をどう確保するかです。自宅なのか施設なのか。自宅がいいけれど介助体制は確保できるのか。脳梗塞などで本人の意思がはっきりしない場合は親族などがまず協議することになります。従前から介助などで生活の援助をしていた人たちがその協議に加われることは稀です。そういう時は日ごろ付き合いがあって本人の意向などをよく知っている日常的に身近な人よりも、遠い親戚の判断が優先されてしまいます。本人の病状についてもプライバシーということで家族以外は教えてもらえません。
こうなってしまうのも「扶養義務」の存在と無縁ではありません。もちろん責任を誰が負うのかという問題でもあります。「共に生きる」ことを考える時、「他人」と共に生きるということが想定されます。その「共生」を誰が認めるのか。そしてその「他人」は責任を負えるのか、負うのか。「共に生きる社会」の実現にはそういった根本的な問題が横たわっています。
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