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2015年01月08日

フランス新聞社襲撃事件で考えること

 昨日フランスで起きた新聞社に対する銃による襲撃事件により12名の命が失われた。本当に気が重くなります。私はこのような方法で命を奪う行為はまったく賛同できないし、多くの市民が追悼と抗議の行動を起こしていることにも賛同します。ただ視点を変えてみると、例えばパレスチナではもっと多くの人が一瞬のうちに命を奪われているということが残念ながら珍しくないという事実にも目を向けなけらばならないと思うのです。「テロとの戦い」が多くの人の命を、イスラム教徒の命を奪っているというのも現実だからです。

 今回の襲撃は風刺画に対する批判というレベルを逸脱し、「かたき討ち」の行動だと報じられています。このような方法で命を奪うことをイスラムの教えは認めるのだろうか。すでにフランスではイスラム教徒に対する報復の動きも出ていると言います。暴力の連鎖が始まろうとしています。これ以上事態が悪化しないように祈るしかないというのが私の現状です。

 私も障害者に対する差別の表現があった時に抗議をしてきた経験があります。表現の自由だからといって見過ごすことはできません。表現方法の見直しを求めたりもします。しかしそのような抗議行動は差別とは何か、表現とは何かということを明らかにする行為でもあると思っています。ですから今回のような人の命を奪う方法では結局何が問題なのか当事者間の中で問題を明らかにする機会を永久に奪ってしまうことになるのです。

こんな時にあまりにも的外れなんかもしれませんが、ブッダのお経の一節がある雑誌に載っていたことを思い出し雑誌をめくってみました。

すべての者は暴力におびえる。
すべての者は死を恐れる。
我が身のことと考えて、
他者を殺すことも、
殺させることも
為してはならない。

ダンマパダ(法句経)の一節
雑誌「一個人 特集仏陀の言葉 2011.03」より

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