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2014年09月28日
横浜に行き、半日という大急ぎのスケジュールでアート関係のイベントを見てきました。それにしても以前からそういう印象があったのですが、横浜の駅のエレベーター利用者にはベビーカー利用者が非常に多いということです。日曜日だということで余計に多かったのかもしれませんが、エレベーターの前には行列ができ、また乗ろうと思ってもすでにいっぱいで乗れないということが立て続きに起きました。そんな調子なので新横浜からみなとみらい駅に到着するまでに一時間ほどかかり、それで疲れてしまいました。
今回見に行ったのは、横浜トリエンナーレ2014です。まずメイン会場の横浜美術館です。入口にある池は、先日本会議で指摘した名古屋市美術館のように藻や苔で緑色でした。
横浜美術館
前にある池は緑色
今回のテーマは「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」。「忘却」を様々な切り口で表現していますが、読み取り力というか、高いリテラシーが必要な作品が多かったような気がしました。その展示の中に、「釜ヶ崎芸術大学」の作品がありました。日雇い労働者の寄せ場として活気のあった町は今は高齢化の中で様相を変えてきています。その中で活動する釜ヶ崎芸術大学の作品自体は多様で、面白いのですが、トリエンナーレの中の作品群として展示されると何となく違和感を感じざるを得ませんでした。
釜ヶ崎芸術大学
組合のビラもアート?に
次に第2会場である新港ピアへ移動しひと回り。
「何もすることがない」とびっしり書き込んでいる不思議な作品
次はトリエンナーレの連携プログラムの会場に移動。まずは「バンカートスタジオNYK」の「東アジアの夢」展へ。ここは倉庫だったところを改修してアートの拠点としたところです。いい雰囲気のところでした。名古屋港の倉庫を利用したアートポートという事業があり、その倉庫を利用した芸術村構想がありましたが倉庫の耐震改修に金がかかるという理由で構想は消えてしまいました。何とかならないかと働きかけもしましたが、今の横浜の様子を見ると本当に残念だと思うばかりです。その東アジアの夢の展示はいろんなものがあり面白いのですが、期間中には朝鮮通信使のパレードなども企画されていて、その時の映像が流されていました。若い人が多く参加している印象でした。
そして次に「象の鼻テラス」を会場とする「ヨコハマ・パラトリエンナーレ2014」へ。この企画は、障害者と様々な分野のプロフェッショナルが共同して作品を作り展示しています。私が到着した時ワークショップ後のミニシンポが行われていました。その場で総合ディレクターの方は、「障害者アートと言われるのですが、私たちの目ざすのは障害者アートではなく、障害ある人とない人が共に創り出すアートです。」と述べていました。その方向性には私も全く同意です。しかし、やはり今回もトリエンナーレの中ではなく、パラトリエンナーレの位置づけになっています。たまたま立ち話をさせてもらったのですが、「2020年の東京オリンピック・パラリンピックは大阪万博のような大きな転換点になるのではなる大きなものになるのではないですか。その時に社会がまた大きく変わるようにパラトリエンナーレも2020年を目ざしたい」と話されました。やはりパラリンピックに回収されてしまうのかと思いました。
耳の聞こえない人がダンスするために電気刺激デバイスを使った作品が面白そうでした。実演を見てみたいと思いました。会場には、障害者施設とか福祉施設というような表現がよく見受けられました。このような存在がなくならない限り、呼びかけ文にある「障害者というコトバがやがて死語になる」ということはあり得ないのです。
黄金町はこんな感じでいい感じです
最後に「黄金町バザール2014」の場所に行きざっと見て回りましたが、夕方遅くもう店じまいの雰囲気でした。古い商店街をエリアマネジメントの手法で地域のまちづくりを行っています。狭い路地などにも面白いスペースが展開されていていました。ざっと半日で駆け足(駆け車いす?)で回り本当に疲れました。本当は一泊でもしてゆっくり見たかった、、、、、。
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